第33回『礫の秘宝を追え!』隊長、礫でそぞろあるき・その1

投稿日: 2012年06月15日(金)16:25

提供:ゲンキ3ネット

まるで巨木が枝葉を伸ばしたかのように複雑に入り組んだ五ヶ所湾。
そのもっとも突出した岬の先に礫浦(さざらうら)はある。
公共交通でいくと、伊勢から五ケ所浦までバスで1時間。さらにそこから町内バスに揺られて50分ほど。
三重の秘境ともいえるその地で、サルシカ隊長が謎の秘宝を追う!!


「南伊勢の礫浦(さざらうら)には、数多くの秘宝が眠っているんですよ。どうですか、隊長。行ってみませんか、ウシシシシシ」

いかにも何か企んでいる風の笑い方をしながらそう耳打ちしたのは、巨体の友人くまさんであった。
しかも、彼はこう続けるのだ。

「秘宝を見つけたあとは、五ヶ所湾であがった海の幸に舌鼓を打ちながら、飲めや歌えやの大宴会をしましょうよ、そしてお互いもっともっと巨体になりましょうよ、ウシシシシ」

ワタクシはもうコレ以上巨体になりたくないが、そこまで言われて黙っちゃあいられない。
「ヨシわかった!!」
ワタクシはすぐさま立ち上がったのである。
海の幸も魅力であるが、なんたって秘宝なのである。
三重の海、山、川を探検するサルシカ隊の隊長として見逃すわけにはいかないのである。

というわけで、2012年の5月のある日、ワタクシは南伊勢の礫浦へと向かったのである。
車内に流れる音楽はむろん映画「インディー・ジョーンズ」のテーマ曲。
ハンドルを握るのは、いつもの写真師マツバラ。

「隊長」
「インディと呼びたまえ、マツバラ君」
「インディ隊長」
「隊長は余分だが、まあいい・・・なんだね、マツバラ君」
「なぜ2人なんでありますか? 今回は誰かいっしょのはずではなかったでありますか」
「・・・」

ワタクシはいきなり眠ったふりをした(笑)。

巨体の友人はあれほど魅惑的な誘い方をしておきながら、「仕事が入っちゃった」と、どこか別のところへ行ってしまったのだ。

「おいおい、秘宝はどーなるのだ!? 海の幸と酒池肉林はどーなってしまうのだ!?」

憤懣やるかたない思いで寝たふりをするワタクシを乗せ、車は南伊勢へと走るのであった。

ワタクシと写真師が暮らす津市美里町から南伊勢の礫浦までおよそ110キロ!
高速を走り、山道を走り、海沿いの道を走り、2時間弱かけてようやく到着なのだ。

[googlemap lat=”34.309229″ lng=”136.667576″ align=”undefined” width=”500px” height=”333px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]三重県度会郡南伊勢町礫浦[/googlemap]

上のGoogleマップを拡大したり、縮小したりして確認してもらいたい。
「これぞリアス式海岸!」という、見事に入り組んだ湾の中の、一番突出した先っぽに礫浦はある。

「礫浦」と書かれた案内看板を見て思わずぎょっとなる。
これまで耳で聞いてきただけで、ネットなどには「さざら浦」とひらながで表記されていることも多い。
漢字だとなんだかオドロオドロしいのである。

「それにしても、すごい名前だなあ」とワタクシ。
「サザラって、ハリツケってことやろ」(違います)。
「あ、そうか、ハリツケかあ! どっかで見たと思ったんよ! ひええええ! 怖いねぇ! どんな歴史があるんやろ!」と写真師。
ハッキリいってふたりとも漢字が弱い(笑)。

ちなみにサザラは「礫」、ハリツケは「磔」。
確かに似てはいるけど違う。
礫浦のみなさん、すいません。

ワレワレの最初の目的地。
それは、迫間浦と礫浦を一望できる高台に建つ宿『とよや勘兵衛』であった。
その宿の主が、礫浦のボランティアガイド(礫でそぞろあるき)をしていて、なんと秘宝めぐりの案内をしてくれるという!

「礫でそぞろあるき」代表の羽根豊年さん(写真左)。
そして「お伊勢さん観光案内人」の中村光喜さん(写真右)にお話を聞いた。
中村さんは礫浦の出身で遠洋漁業の乗組員をしていたことがあるという。
ボランティアガイド「礫でそぞろあるき」の先生役である。

「そもそもね、サザラの名前の由来からしてスゴイんですよ。サザラとはサザライシ・・・つまり小石のことで、小石がたくさんあるところに出来た村っていう意味なんですよ」

とよや勘兵衛のご主人で、「礫でそぞろあるき」代表である羽根豊年さんは愉快そうに笑って言う。

「両側を海にはさまれてね、細いとこでわずか50メートルもない小石の転がる浜にできたんが、礫浦の集落なんです。びっくりでしょ」

これが昔の礫浦の写真と絵である。
いずれも堤防らしきものはなく、本当に浜からそのまま集落へとつながっている。
日本昔ばなしに出てくるようなところである。

そしていよいよ礫浦のそぞろ歩きがはじまった。
そぞろとはいうが、秘宝をめぐる冒険である。

丸メガネにベレー帽の中村さんがスタスタと元気に歩きながら話す。

「昭和30年頃まで、礫浦といえばカツオやマグロなどの遠洋漁業が盛んでした。私も船に乗って太平洋から大西洋と世界中を回ったもんです・・・」

なんともスケールの大きな話である。

「一度漁に出ると短くて8ヶ月、長くて2年は戻ってこれんでしたけど、2年で家が建つと言われてましたからね。
その頃このあたりは裕福だったですよ。私みたいに世界各地で飲んで遊んじゃったら何も残ってないけど(笑)」

この小さな漁村から、世界の海へと旅立ち、マグロやカツオを獲っては世界各地の港にあげて売りさばく・・・。
こんなインターナショナルなビジネス、その拠点がここ礫浦に存在したのだ。

2年で家1軒。
2年間、世界に出たままの遠洋漁業。
今となっては想像もつかない世界である。

例の「200海里」に代表される漁業水域の設定などにより、日本の遠洋漁業は一気に衰退。
いまもまだ礫浦籍の船はあるらしいが、その船に乗っているのは、他の地域の人か外国人であるという。

海とつながる鏡池のほとりを歩く。
かつてはここに巡航船の船着場があったという。
昭和30年代まで、車で行き来できる道がなく、羽根さんも中村さんも巡航船に乗って学校に通っていたのだそうだ。

「ええ時代でした。海がちょっとシケたら学校は休みやしね(笑)」と中村さん。
「実はその巡航船を走らせていたのが、うちのおじいちゃんだったんですよ」と羽根さん。

目を細めながら鏡池を眺める羽根さんと中村さんの瞳には、どんな礫浦の風景が映っているのであろうか。

「昔はね、この鏡池でいくらでもハゼが釣れてね・・・」
「カツオの群れが入り込んできたこともあったなあ・・・」

ああ、これは素敵なガイドだなあ、と思った。
まるでタイムスリップをしたかのように、かつての礫浦をも旅できるのだ。

しめ縄を年中飾るのは伊勢を中心とした習慣。
が、そのしめ縄に伊勢えびが飾られているのはこの地域ならでは。
もちろん大漁を祈願してのものだ。

海沿いの道から「せこ」(細い路地のこと)に入った。

「さあ、いよいよ宝物を見にいきましょうか」と羽根さん。
子どものように楽しそうにワクワクしている。
「まずはどっから見にいきましょうかね」

え? 宝はそんなにアチコチにあるのか、と思う。
が、更に羽根さんはこんなことを言うのだ。

「じゃあ、最初は片出さんとこ行きましょうか。今日は家にいると言うてましたんで」

片出さんって・・・? 個人宅に宝はあるのか・・・?
そもそも個人の家に案内するガイドってありなのか・・・?

ワタクシと写真師マツバラの頭の中が「?????」でいっぱいになったとき、片出さんのお宅に到着した(笑)。

いきなり玄関を開けて「こんにちわ~、おーい、おるかい?」
が、返事なし。

「あれ? 今日はおると言うとったのに、病院にでも行ったんやろか」

いいなあ、こういうの(笑)。
写真師もうれしくてたまらんという様子でバシャバシャ留守宅を撮影している。

と、裏の畑の手入れをしていた片出さんが騒ぎを聞きつけてやってきた。

すかさず写真師がカメラを向けると、

「あー、イヤイヤわあ! こんなシワクチャのおばあちゃん撮らんといてぇ!」

するとますます写真師はレンズを近づけシャッターを切るのだ。
おばあちゃんの嬌声を楽しむのはそれぐらいにしなさい(笑)。

そして、宝物を囲んで記念撮影。
たまたま牛乳瓶の回収に来たお母さんもいっしょに(笑)。

え?
宝物はどこかって?
あるじゃないですか、写真の真ん中に!!

礫浦に隠された秘宝。
実はそれは遠洋漁業の乗組員のみなさんが海外で買ってきたお土産なのだ。
黒檀を削って作ったインドゾウ、セイロンのヤシの実、今ではもう輸入できない動物たちの剥製などなど。

1年、2年と日本を離れていた漁師さんたちが、家族たちの笑顔のために世界各地で買ってきたお土産だったのだ。

さまざまな宝があった。
サハラ砂漠の「砂漠のバラ」
かつて存在した水のミネラル分が結晶化したものだという。

中には機関士さんが作ったボトルシップもある。
長い航海のあいだ、エンジントラブル、嵐、いつ何があるかわからない。
そのため機関士は酒もほとんど飲めないため、空き時間にこのような作業に没頭するのだという。

「1年も2年も家を留守にするわけやからねぇ・・・罪滅ぼしみたいに思ってたんでしょうねぇ、本当にいろんなもんを買ってきてくれましたわぁ。
わたしら全然価値も意味もわからんので、宝の持ち腐れですけどねぇ」

礫浦のお母さんたちは控えめに笑った。
1年も2年も夫や父がいない生活。
「大変だったでしょう?」と声をかけると、

「ウチは父親も漁師でおらんのが当たり前と思とったからねぇ、帰ってきたあと思ったら、またすぐ出ていくしねぇ。慣れたらそれが普通の暮らしやったねぇ」

お母ちゃんたちは強い(笑)。

「ちょっとええかなあ」と人の家にあがりこんで宝物を見せてくれる羽根さんと中村さん。
みんな顔なじみ。
昨日はナニナニやったね~、とか、ドコドコ行っとったやろ~、とか、まるで家族のように話をする。

確かに床の間に飾ってある古い土産は宝物だろう。
しかし、それをこうして見ず知らずの人に当時の話をしながら見せてくれる、礫浦のお父さんお母さんたちこそ、今に残された宝物かもしれない。

こんな人情にあふれた「そぞろ歩き」をこれまで体験したことがない。

え?
ところで、このページトップのどっかの洞窟で宝探しをしているような、いかにも思わせぶりの写真はなんだって?

まあまあ。
礫浦のそぞろ歩きは、まだまだ序の口なのだ。
人類の英知を超えた、冗談抜きの秘宝も、次回、紹介なのだ!!
たぶん(笑)。




写真/松原 豊
文 /奥田裕久