銭湯いこにVol.22「四日市・自転車で銭湯なのだ!」②~入る編~

投稿日: 2012年06月20日(水)09:18

写真/松原豊  文/ケロリン桶太郎

自転車で潮風を切りながら四日市をめぐり、やってきたのは、四日市温泉。
JR四日市駅から徒歩数分のところにある銭湯だ。
さて、ここから銭湯企画のリーダー、ケロリン桶太郎が筆をとるのである。


銭湯の話題に入る前にちょっとだけ四日市温泉という銭湯の屋号について考えてみたいと思います。

その1

今回お邪魔するのは四日市市にある四日市温泉。
市名を冠する銭湯なのです。
このように地域名を冠するのはごくスタンダードな名前の付け方ですが、市町名となると気が引けるのかそれほど多くはありません。
現存する三重県の銭湯では伊勢市の伊勢湯だけ。
過去を見ても河芸浴場(休業中)、鈴鹿温泉(廃業)ぐらい。
ではなぜこの銭湯が四日市を屋号につけたのか?それにはこんな背景があったようです。

「むかしは四日市と言えばこのあたりのことやったんさ。そやで四日市温泉と名づけたのとちゃうやろか。」
と四日市温泉のお父さん。

要するに今では三重県一番の大都市の四日市ですが創業当時はミニマムな意味で名付けられたというのが真相のようです。


その2

銭湯好きな方や関西出身の方なら、銭湯が○○温泉と名乗っていることに違和感はないはず。
でもそうでない方がこの名称を目にすると「ここって天然温泉!?」となるようで違和感を感じる方も少なからずいるようです。
ではなぜ街の銭湯が○○温泉と名乗っているのでしょうか?

これには次のような背景が考えられます。
それは、温泉法で温泉が定義されるより前、まちなかでも天然温泉のようにゆったり大きな湯船に浸かってもらいたいという湯主の思いや、温泉と名づけることで他の銭湯との差別化を図ったことが真相のようです。
地域では名古屋周辺から関西の銭湯にはこのように温泉と名乗る銭湯が数多く分布していますが、関東ではほとんど見られません。このあたりも銭湯のネーミングを通じた地域性が見て取れ興味を引きます。

ちなみに四日市温泉のお父さんによると、戦後の燃料が乏しい頃に銭湯に「電気温泉」という電極に電気を流して湯を沸かす設備を導入するのがはやったそうです。
この名残で四日市温泉では「温泉」を屋号に取り入れたのでは、とのことでした。
いずれにせよ銭湯の多くは井戸水を汲み上げて沸かしているところが多く、お湯は薪やおが屑で沸かしているためとてもなめらかであたたまり湯冷めもしません。
遠くの温泉に行ってガソリン代を出費するよりぜひ近くの銭湯へお出かけください。

余談ですがもちろん実際に天然温泉が自噴または引き湯している銭湯もあります。
例えば函館、青森、鳥取、鹿児島の街中には○○温泉と名乗る銭湯がいくつもあります。
その反対で横浜の鶴見区から川崎、東京の大田区に至る地域では真っ黒な地下水の天然温泉を引いた銭湯がたくさんありますが、○○湯と名乗るだけで地域柄なのかとても控えめになっているのもおもしろいところです。

さて本題の四日市温泉さんのお話しへ・・・・。

今回のサルシカが四日市温泉になったきっかけですが・・・
ケロリン家では鈴鹿や四日市の銭湯に出かけることが多く、嫁と娘が出てくるのを駐車場で待っていたところ
駐車場の奥にある釜場から声をかけて来られたのがこちらのお父さんだったのです。
お父さん:「大きい車に乗っとるなあ、なんていう車や?」
ケロリン:「ランドクルーザーやに」
お父さん:「これもランドクルーザーか。オレは猿投(トヨタのオフロードコースがあるところ)でランクルに乗ったことがあるよ」
よくお話しするようになったある日は
ケロリン:「こないだ伊賀の銭湯で四日市出身の落語家さん(林家染弥さん)を呼んで落語会を開催してきたんさ」
お父さん:「おお知っとるよ。その人。ワシは若い頃はよう学校をサボって名古屋まで落語を見に行っとったんさ。圓生はヘタやったなあ。」
ケロリン:「ええ、名古屋に寄席があったん?」
という具合です。
それ以来、私にはこの風呂上りのご主人との会話も四日市温泉の愉しみのひとつになったのです。

銭湯寄席はお父さんに固辞されましたのでお話しを進めることは出来ませんでしたが、サルシカで四日市は初めて(富田のたから湯は隊長抜き)でしたので。
その後は写真師松原とロケハン&前撮りを経て今日を迎えた次第なのであります。

四日市温泉さんはお父さんとの会話のほかにも、まわりの街にも魅力がたっぷりなのです。
ショーケースに並べられた鳥の丸焼きがいかにも美味そうな鳥義、四日市銘菓「采女の里」の花月堂、リーズナブルで一度聞いたらその名前を忘れることが出来ない洋食屋「きっちんケミア」、そしてなんといってもここを初めて通る人の目を釘付けにさせる三和商店街などなどかつて四日市の中心街であった名残が今でもしっかり存在している街なのです。

それでは四日市温泉にお邪魔してみましょう。


エントランス

中が見えないように建てられている衝立。
メッシュフェンスをよ~く見るとフレームにあわせて四角くカットされているのではなく所々が波状にカットされています。
そのフェンスには「ラドン風呂」「デンキ風呂」などお風呂のメニューがカラフルなアクリル板でデコレーションされています。
看板屋の好みだったのでしょうか?


番台

番台を守るのはお母さんの伊藤あや子さん。
毎日銭湯に入ってマイナスイオンをたっぷり浴びているのでとても若々しく見えます。


下駄箱

名古屋などでよく見かける鋳物製の穴の開いた窓の下駄箱です。つくりがしっかりしているので今も現役で使われています。


脱衣箱

ガラス窓で中が見えるロッカーです。「脱衣所荒らしに注意」とありますが衣類が丸見えのほうが抑止力があるのでしょうか?
ガラス窓のロッカーは県内の銭湯でも普通に見られましたが今ではあまり見かけられなくなりました。
ちなみにこの注意書きですが「最近、市内の銭湯で云々」と始まりますが書かれたのは昭和57年(1982年)で、”最近”と言われても説得力が・・・。
もちろん貴重品は番台で預かってもらえます。


洗い場

カランが手前から奥に三列あり、奥の壁沿いに浴槽という東京式のレイアウトです。三重県ではココだけかもしれません。


浴槽

左からラドン風呂(熱湯)、バイブラ、デンキ風呂となっています。ラドン風呂は鉱石が浴槽に沈められてその成分がお湯に染み出している非常にありがたいお湯なのですがお湯が熱くて入るには我慢が必要です。
かといってバイブラ湯でもかなり熱めなのですが。
ほかにはサウナはありませんが水風呂があります。


釜場は右側にある駐車場の奥にあります。
お父さんはいつも釜に置かれたテレビを見ながら釜番をしています。
今の釜でも材木で沸かせるそうですが、燃料の主流は自動車などから出る廃油だそうです。
廃油はお父さんが軽トラで取引先まで回収に出向くそうで年齢が年齢だけに事故にはとくに気をつけているそうです。


お父さん

昭和7年生まれの伊藤一次(いとうかずつぐ)さん。
ジーンズ愛好家で戦後間もない頃からジーンズを愛用する三重県のレジェントジーニスト?です。
スポーツもさんざんかじったそうで「まだまわりの人がやってなかったころからやっとった。
もうやめたけどな」のゴルフと、「ちょっと前までやっとって市の年齢別大会で優勝した」テニスがご趣味だったそうです。
そのせいか背筋もピンとお腹も出ていなくて若々しく見えます。(お顔は年相応ですが・・・笑)


歴史

創業は昭和26年。今のご主人の先代が始めました。
創業当時の建物を建て替えようとしたときにオイルショックがやってきてセメントが手に入らず困ったそうです。
賑わっていた当時は一日300人以上のお客さんが来て、釜番や掃除など人を雇っていたそうです。
それが今では100人ほど。
賑わっていた頃はご近所さんが多かったそうですが、最近では車でやってくる人が多いようです。
お子さんは息子さんもいらしゃいますが勤め人なので後を継ぐ人はいないとおっしゃっていました。

自分の都合で休んだことは一度もないというお父さんの気概が次から次へと廃業していく銭湯不況の時代でも営業を続けてこられた原動力だと思いました。
四日市温泉は、お父さんの「お客さんに喜んでもらいたい」の気持ちが溢れたとても温まる銭湯です。
これを読まれた方も、サルシカで紹介する銭湯に間違いはありません。
ぜひ一度足を運んでいただければ幸いです。

四日市温泉
〒510-0093 三重県四日市市本町7−10
Tel 059-352-3293