第1回:タデウス・ピーター・ドライジャさん 「山、川、田んぼ、薪、軽トラのある暮らし」(三重県津市)

投稿日: 2012年10月03日(水)22:50

三重移住者コーナーがいよいよ開始!

三重へ移住した方には、一時的な方もいれば永住の方もいて、三重へやってきた理由は十人十色。
そして、三重での暮らし方も全然違うことでしょう。
今回は、移住者の中でも暮らしっぷりはかなり異色と思われるタデウス・ピーター・ドライジャさんにインタビューを行いました。

タデウス・ピーター・ドライジャさん
1982年米国生まれ。
2010年より三重県津市へやってくる。
現在、三重大学医学・看護教育センターの助教。
写真を中心とした美術から、畑作業、DIY、山登り、旅に至るまで、自分の手足を使って何でもやってのけてしまう。
Thaddeus Dryja
http://tadge.net

三重県津市、田んぼが広がる一帯に一軒家がポツンとある。
ここに一人の青年が暮らしている。
米国ボストン生まれのタデウス・ピーター・ドライジャさんだ。

2004年、米国のカーネギーメロン大学・工学部を卒業したドライジャさんはひょんなきっかけで埼玉県の高校で英語教師として初めて日本へ来る。2年後、米国へ戻り、ニューヨークの芸大・School of Visual Artsの修士課程でで写真を学ぶが、その後、有名写真家のアシスタント等をする中で、東京で写真の仕事の話が持ち上がり、再び日本へやってくる。しかし、東京での仕事は想定していたものではなかった。だからといって心躍るような仕事にはそう簡単に見つかるものではない。ひとまず、英語学校の求人を当たってみると、三重県津市の英語学校の募集があった。そう、彼が三重へ来たのは偶然である。

●暮らし
ドライジャさんの暮らしは、気取らず豪快だ。
田んぼに挟まれた道を曲がり、家屋に近づくと、もう何年もそこに佇む木にロープと網でできたハンモックがかかっている。
その傍にはロードバイク(自転車)、オートバイ、山積みの薪があり、収穫されたジャガイモも無造作におかれている。
付近には、軽トラックも停まっている。
なんだか、かっこいい。
一体どんな暮らしをしているのか。

玄関を上がると、ふすまを外した開放感のある空間が広がる。
大画面のテレビ、大きなスピーカー、ゆったりとしたソファのあるシアターリビングにダイニングルームがくっついた大広間だ。
なかなか素敵な空間である。
今でこそこの状態に辿りついたが、ドライジャさんがこの家屋にやってきたときは、ネズミの死骸があちこちに転がっていた程、放置されていたという。
住み始めた当時のその様子を聞いていて、「美しき日本の残像(英語版:Lost Japan)」という本の一節を思い出した。その本には、著者アレックス・カーがかつて学生時代に日本の原風景を求めて旅していた頃に四国・徳島県にある祖谷に出会い、後に古民家を修復し住み始めた頃の話が描かれている。

ドライジャさんは生活に必要な家具の多く、ダイニングテーブル、二段ベッド、チェアなどを自分で組み立てている。
ストーブの煙突は簡易とはいえ、作るのにかなりの労力を要したようだ。
ものづくりの材料はホームセンターで購入するばかりではなく廃材も利用している。
例えば、チェアは一台目のマイカー、スズキ・ジムニーの遺品だ。

DIY(住まいを自らの手で作るという意味)の域を越えるが、自宅の作業室では様々なものを作っている。
例えば、まっさらな銅板からはんだ付けを行い、回路を組んで電光板も作っている。
シンプルな電光板はインテリアにもなりそうだ。

どうやってこれだけ色々なものを作れるようになったのかを尋ねると、ものづくりの気質は父親ゆずりで、基本的な技術は大学生の頃のアルバイト時代に培ったそうだ。
その秘訣について尋ねると「作っては壊す、を繰り返すこと」だという。
「本当は、長く暮らすなら、もっと素材やデザインをいいものにしたいんだけどね」とこだわりの姿勢もうかがえた。

●ドライジャさんの一日
軽トラやハンモックからのんびりした生活がイメージされるが、普段はどんな一日を過ごしているのだろうか。
夏の場合、朝5:30頃の畑仕事から始まる。
1時間程度草むしりなどをする。
本人は「てきとう農業」と呼んでいるが、確かに、遠目では雑草の生えた空き地のように思えるかもしれない。
三重に来てから始めた畑仕事であるが、彼はいろいろと試している。
育てるのが簡単な野菜は、にんじん、じゃがいも、とうもろこし(ポップコーン用も)、ラディッシュ。
難しかったのは、スイカ、ピーナツ、レタス。ちなみに、育ててみたもののどうすればいいかわからなかったのがマスタードだというが、事前に計画を緻密に立て過ぎないあたりも「てきとう」のようだ。
そんなユルさがいい。

夏の一日の話に戻すと、畑仕事をしたら、ロードバイクで三重大学まで走る。
そして、仕事後は、友人宅へ行って夕食を食べるか、帰宅して夜ごはんをつくる。
米国の文化なのか、一人ではほとんど外食をしないそうだ。
夏の定番料理の一つは、玄米とシャケバターだ。

冬の場合は夏と少し違う。
帰宅後まず暖炉を付けることから始まる。
森林組合から軽トラで仕入れてきた薪が使われる。
テレビを見たり、本を読んだりしながら、暖まった暖炉の熱を使って調理し、夕食をとる。
冬の食卓といえばマッシュポテトなどのジャガイモ料理は欠かせないそう。

●三重
「山。川。田んぼ。灯油。焚き火。軽トラ。素晴らしい未来的な生活」
これはドライジャさん自身が三重の生活を表した言葉だ。

彼は三重に来て2日目の夜、津市の田舎を新鮮な目で体験する。
津駅から津新町駅へ向けて歩いていたところ、道に迷い、4時間歩き続けた。
「夜中にみた田んぼとかの風景が美しかった。今でも覚えている。すごく面白かったよ」と当時を振り返る。
三重に来る前、大都市にいたという反動もあり、今だからこそ出来るような暮らしをしたいと感じ、田んぼの真ん中にあるこの家屋を住まいに選んだ。
ここなら周囲を気にせずパーティもゆっくりできる。
実際にムービー会や収穫祭などのイベントを何度も開催している。

ドライジャさんは、北は北海道、南は鹿児島までバイクなどで遠出する行動派であり、三重の山やダムについては、カメラを片手にあちこち回っている。
これまでに登ったのは、三重県の中勢エリアから北にある山々で、長谷山、霊山、経ヶ峰、三峰山、矢頭山、堀坂山、白猪山、笠取山、御在所岳…と数えきれない。
ダムについても、君が野ダム、安濃ダムなど次から次へと名前が並ぶ。
お勧めのダムは、蓮(はちす)ダム。
傾斜が急で美しいそうだ。

ところで、彼によれば「山に登ってもほとんど人に会わないよ」と言う。
ふむ、一体どんな山登りをしているのだろうか?
よくよく聞いてみると、「夕方に登り始めて、頂上付近の小屋に行って簡単な夜ごはんを作って、一晩を過ごしたり」と。
そりゃ、山で会う人が少ないはずだ。
安全重視の日本人の常識に従うよりも自分で培った体験をもとに行動しているようだ。

●行動力の源
ドライジャさんの暮らし方はなんだか素敵だ。
その行動力の指針となるものは何なのか。
座右の銘を聞いてみると、日本語に直せば「出来なさそうならやってみよう」だという。
これは英語のことわざ「噛める以上の量を頬張るな、つまり自分の能力以上のことをするな(Don’t bite off more than you can chew)」を逆にしたものである。
「実際に自分はこれまで、やってみて何度も失敗している」という。
察するに、様々なことに対して好奇心を持つ彼は、そのときの自分の経験・知識・体力でギリギリのところを試して、できる範囲を知り、また次にチャレンジしているのだろう。

インタビューの終わった後、庭に自生していたニラを採って(写真:奥の白い花の付いているものがニラ)、「これ食べられるよ」と、かじっていたドライジャさん。
そして、「これ(彼岸花)も食べてみたけど、まずかったよ」と一言…そりゃそうでしょ、とつっこみたくなるが、ここにもチャレンジャー精神が垣間見える。

最後に、生きる力で満ち溢れているドライジャさんの行動の秘訣は、プランをキッチリ作らないことだ。
常に余白を持っていて、本当に重要なことをみつめているのだと思う。
直感にも従って動くのであろう。
ドライジャさんは日本の社会を静かに見ている。
「忙しいのが、形だけ。本当にやることは何?」と問いかける。

写真 文 横山叙子 2012年9月23日(日)