南伊勢神前浦 歴史の謎と神秘の力を追え!①

投稿日: 2012年10月23日(火)08:22
第37回『サルシカ隊長レポート』2012年10月

サルシカ隊長オクダ、今回は南伊勢町神前浦へ!
絡み合う歴史の謎、神秘の力を追う!!


■依頼主はまたもやくまさん

「今度はですね、南伊勢の神前浦(かみさきうら)へ行ってほしいんですよ」

焼酎の水割りを飲みながらそう言ったのは、巨体の友人くまさんであった。
彼はこの夏の前にも「南伊勢礫浦(さざらうら)に隠された秘宝を追いましょう!」と提案し、
「宝物を見つけたあかつきには、南伊勢の海の幸で大宴会ですよ、酒池肉林ですよ、ワハハハ」
と大いに気分を盛り上げておいて、いざ当日になると、
「あ、ごめんごめん、別の仕事が入っちゃって」
と、あっさりと逃げた前科の持ち主である。

ワタクシが黙ったまま疑いのまなざしを傾けていると、
「あ、いやいや、今回はいっしょに汗を流しますから! 今度こそ宴会ですから!」
と、妙に汗をかきながら熱く語るのである。

今度は「歴史の謎と神秘の力」である。
なんだか冒険活劇の映画シリーズのタイトルのようである。
が、前回の礫浦の秘宝は確かに実在し、目の当たりにしたのであった。

※「礫浦の秘宝」を確認したい人は、こちらのレポートをどうぞ!

くまさんの人間性はともかくとして、情報は確かである。
またこの男にまんまと乗せられるのは悔しいが、そそられる話ではある。

「わかりました!」

ワタクシは焼酎の水割りを飲み干し、グラスをテーブルに力強く置いた。

「いきましょう、神前浦へ!!」

こうして、サルシカ隊長のワタクシと写真師マツバラの新たな旅がはじまった。

■いざ!南伊勢の神前浦へ!

写真師マツバラが運転するハイブリッドカーは、紀勢道の紀勢大内山インターを下り、錦方面へと走っていた。
途中、左へ折れて南伊勢方面に向かい、国道260号に入ると、あとはそのままリアス式海岸に沿っていくと、神前浦に出る。
車中には、当然のごとく写真師とワタクシのふたりだけであった。
もはや、くまさんのことについては語るまい。

「今回、ワレワレが追い求める神前浦の歴史の謎と神秘の力とは何でありますか?」

写真師が問うた。
しかしそれがわかれば苦労しないのだ。
今回はまるで糸口が見えない。
追いかけるモノが何かすらわからないのである。

「いいかね、写真師ワトソン君」
「は?」

写真師マツバラは、また面倒な芝居がはじまったと言わんばかりにため息をついた。
が、すぐさま調子を合わせてくれるのが彼のいいところである。

「なんでしょう、シャーロック隊長」
「今回は謎解きの旅だ」
「はいはい」
「ワレワレに求められているのは探偵のごとく鋭い観察眼と推理力なのだよ」
「なるほどなるほど」

こうしてバカなふたりを乗せた車は神前浦へと入ったのであった。


■仙宮神社を訪ねる

河内川の河畔にひっそりと佇む仙宮神社。
今回の旅で唯一ワレワレが訪ねることが決まっている場所であった。
こちらの宮司さんは神前浦の歴史を冊子などにもまとめており、何はともあれ、まずはここでお話をうかがうことに。

参道の手前に車を停めて降り立つと、大きな木々が覆いかぶさるようであった。
風もなく、物音ひとつしない。
空気も時間も止まっているかのようであった。
そして、まるで前世でここを訪ねたかのような不思議な既視感がある。
そのことを写真師に伝えると、彼もまったく同じだという。
背中にぞくっとするものを感じた。
これぞ神秘の力であろうか。
それとも長き歴史がもたらす時間のいたずらであろうか。

宮司さんを探して住まいの方へいくと、「あれ!?」となった。
何の不思議でも既視感でもない。
実はワタクシは、ここを別の取材で訪ねたことがあったのだ。
と、同時に写真師も「ああ!」と驚いている。
彼も別の取材でここを訪ねたことがあるという。
なんともトンマな話である(笑)。


■平家の落人伝説

まずは宮司の加藤實(みのる)さんにお話をうかがう。
ワタクシは伊勢平氏の番組の取材で、この同じ場所で宮司の加藤さんにお話をうかがったのであった。
「どうもどうも、お久しぶりです」
と、苦笑いをしながらご挨拶。

実は南伊勢の沿岸には、平家の落人伝説がある。
壇ノ浦の合戦に敗れた平家の末裔たちは海を伝ってこの地に逃れてきたものの、従来からその地に暮らす漁民たちが海を生活の場にしていたため、移り住んできた落人たちは海にでることをあきらめ、塩をつくって生計を立てたという。

その竃があった場所が、新桑竈、棚橋竈、栃木竈、大方竈など、竈の字がつく集落で、かつては8つあったことから『八ケ竈』と呼ばれたのだという。
これらの集落の人びとは大方竈にある八幡神社を祀り、毎年、竈方祭という祭りを開くなど、今でも文化的なつながりを持ち続けているのである。

壇ノ浦の戦いが1185年。
もう千年も前の話が、ここでは継続しているのである。

前回、加藤さんにはそんなお話を聞いた。
そして、平家の落人たちが反乱を起こさぬように源氏から派遣されたのが加藤家であり、加藤さんはその末裔であるとも聞いた。
しかも何の因果か、『八ケ竈』八幡神社の宮司を兼ねるのも、この加藤さんなのである。

なんという歴史のつらなりか。
もうこの話だけで十分すぎるほどの歴史ロマンである。

が、今回は神秘の力というもうひとつのテーマがある。
そこで加藤さんにそのままずばり聞いてみた。

「このあたりに神秘的な力を持つものとか、パワースポットのようなところはありますか?」

あいまいな答えが帰ってくるだろうと思っていた。
が、加藤さんは「ありますよ」と即答したのだ。
しかも「ここにあります、3つ」と・・・。

え、なんだって?
ここにある?
しかも3つも!!!

写真師とワタクシは目をパチクリして見合わせた。

なんだよなんだよ、何の糸口もつかめない泥沼の取材かと思いきや、とんとん拍子で進んでいくではないか。
もうこれは昼前に取材は終わっちゃうんじゃないの。
まいったな~、もう今日はお昼すぎから宴会しちゃうか~。

一瞬の妄想の爆発。
こういう時、写真師とワタクシは目で会話ができるのだ(笑)。


■ひとつめのパワースポット&アイテム

仙宮神社の本殿は、標高70メートルの山頂にある。
苔むした石段(なんと365段!)を加藤さんに案内されて登る。

ひとつめの神秘の力は、石段を登ってすぐのところにあった。

バクチの木。
別名ビランジュとも呼ばれるこの木は、絶えず古い樹皮が剥がれ落ちることから、博打に負けて身ぐるみ剥がされるの例えから、バクチの木と名づけられたものである。

「どっちかというとツキがなくなりそうな木だなあ」

などと写真師が失礼なことをいうと、加藤さんはにこやかに笑って、

「でも樹皮は剥がれても剥がれても次々に再生してくるんです。たとえどんな境遇に置かれても、がんばれば必ず再生できる。これは『再生の木』なのです」

絶望からの再生。
また光に向かって歩み出す、そんな支えとなる木。
それがこの木なのだという。

この木の下で手を合わせ、祈り、新しいスタートを切るのだ。

朝からアホなことばかりやっているワタクシと写真師も神妙に手を合わせ、脳みその再生を心から祈る。
どうかバカが治りますように(笑)。

さらに石段を登る。
息が切れる。

が、加藤さんの方をみると、全然息が乱れていない。
正月の祭典のときは、1日に7往復もすることがあるという。
どうりで平気なはずだ。

山頂につく。
本殿の手前に絵馬殿がある。
天の岩窟にまつわる絵や小倉百人一首の額がある。

本殿。
祀られているのは、猿田彦命。

第2のパワースポットはどこなのであろう、と思っていると、加藤さんが「こちらへ」と本殿の裏手へと案内。

本殿の裏手は、唐突にその様相を変える。
いくつもの巨岩が突き出し、荒々しい岩山へと姿を変えたのだ。
まるでそれは自然が生み出した不規則なストーンヘンジのようである。

「この巨岩群のまわりからはいろんな遺物が出土してましてね、古代の祭祀に使われたのではないかと考えられています。昔はこの岩、いや山自体が神として崇められていたのでしょうねぇ」

なんと本殿の後ろに、古代の神々が宿る巨大石があったとは!!

しかもその巨大石のひとつが、第2のパワースポットであった。
巨大石の裏へと回ったところで、加藤さんが一方を指さす。

「こちらからあの岩を見て、なにか気づきませんか」

垂直に切り立った岩の壁である。
高さは6メートルほどもあろうか。
じっと目を凝らして見ていると、ぼんやりとある姿が浮かぶ。

「あああああ!!」

写真師とワタクシが声をあげたのはほぼ同時であった。

わかっていただけるであろうか。
ワタクシの指の先に浮かぶ、ある生き物を。
そう、サルの顔である。

「私もこれに気づいたときは驚きました・・・ここに祀られているのは猿田彦命ですからね。今は木が茂っていて見えませんが、実はあのサルの視線の向こうには河内の集落があります。やっぱりここから人びとを見守っているんでしょうねぇ」

そして本殿へ戻って、3つめのパワーアイテムをみせてもらった。
この地から出土し、大切に保管されてきたという「子持ち勾玉(まがたま)」。

普通の勾玉はツルツルだが、この勾玉にはたくさんの子ども(ヒレみたいなのね)がついている。
そこから名付けられたものらしい。

あるとき、子宝に恵まれず、不妊手術をもうすぐ受けるという人が神社へやってきた。
手術がうまくいけば、との思いから、この勾玉に触れさせてもらったのだという。
すると、手術を受ける前に子どもができるという奇跡が起きた。
それが口コミで広がり、霊験あらたかなパワーアイテムとなったのだという。

「パワースポットとか奇跡とかで注目を浴びるのは本意ではありません。でもそれで少しでもここを訪ねてくれる人が増えるのなら・・・神前浦や南伊勢の歴史を知ってもらえるのなら、それはそれでいいのかなあ、と思っています」

平家につながる歴史、そして3つのパワースポット。
仙宮神社だけで大きな収穫を得た。

しかし、それは断片的なものであって、ひとつのつながりになっていない。
まだ何かある・・・!!
ワタクシと写真師は次のスポットへと急いだのである!!!

写真:松原豊    文:奥田裕久