紀北町下河内の露天風呂

投稿日: 2009年06月15日(月)01:37

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サルシカにとっては、久しぶりの新コーナーである。
テレビや雑誌の仕事で、三重県を北から南、そして東から西へと行ったり来たり、うろうろ、ふらふら。
そんな隊長のみえ探訪エッセイです。
記念すべき第1回目は・・・三重の南部、紀北町から!

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先日、テレビのロケハンで、北牟婁郡(「きたむろ」って読みます)紀北町の下河内(しもごうち)というところに行ってきた。

高速道路の紀勢道が延びたから近くなったとはいえ、津市から紀北町まで車で1時半ほどかかる。
そして紀北町を縦断する国道42号線から、えんえん山に向かって走り、
「え、ウソ、この先に集落なんてあるの・・・?」と思いはじめた頃、唐突に現れるのが、下河内なのである。

いやー、のどかでいいところだ。
というか、マジで何にもない。
田んぼが広がっているだけ。
なんと、たった6世帯の集落であるらしい。

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その下河内で、地域活性化の拠点となっているのが、こちらの旭屋さん。
昔は、旅籠として使われていたらしい。
そもそもこの旭屋の横に延びる国道422号線は、紀伊長島と大台をつなぐ大切な街道であったらしい。
紀伊長島の海の産物を山に運び、大台の山の幸を紀伊長島に運んだのであろう。
その商いに歩く人たちが足を休めた宿なのだという。

築100年は軽やかに経っているという。
現在は、そば打ちの体験施設などに使用されている。

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変わった軒である。
三重の中でも北部、中部の方ではあまり見ないスタイル。
が、こちらの方には結構見られるという。
雨が多いこととかが関係しているのであろうか?

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あと、こちらの家はすべて石垣で囲まれている。
何から家を守っていたのか?
この地域に暮らす人々に聞いてみたが、はっきりしたことはわからない。

江戸時代、この地域はオオカミが多く、その侵入を防ぐため?
風よけ?
火事の延焼をふせぐため?

みなもっともらしいが、本当のことはわからない。
誰か知っている人がいたら、ぜひ教えてもらいたいものだ。

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この地域で暮らす大変さを物語る水路。
2000メートル先の水源から山の中に水路をつくって引っ張ってきている。
つい最近まではこの水を生活用水に使っていたという。

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この下河内に名古屋から移り住んできた西田さんというご夫婦に出会い、家を訪ねた。
8年ほど前、ドライブで紀北町へ来て、下河内に迷い込んだのが運命的な出会い。
この土地、そして土地の人がすっかり気に入り、ついには移住してしまったのだ。

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人里離れた西田さんのお宅の裏山にある露天風呂!
西田さんがつくったという!!
「あーあー、やっちゃいましたか!」という感じ。
確かにこれは男のロマンです(笑)。

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裏山から露天風呂を見下ろす・・・。

下河内・・・。
今回、はじめて足を踏み入れましたが、とってもいいところ。
みなさんも機会があったら、ぜひ迷い込んでみてくださいませ(笑)。