第6回「国道311号線を行く!キャンピングカーで巡る歴史街道の旅!前編!」

投稿日: 2013年06月21日(金)14:27

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写真・イラスト・文/雑賀朱理

こんにちは。
5月吉日、新たな旅の友として、キャンピングカーが我が家に納車されました!
注文してから納車されるまで、約4カ月の時間を要してしまいましたが(汗)
これからは旅の重要な足として、一緒に三重県を放浪していきたいと思っておりますので、よろしくお願い致します!

さて、キャンピングカーによる初めての放浪記ですが・・・
行き先に選んだのは、三重県熊野市。
高速道路の建設も着々と進み、平成25年中には勢和多気ジャンクションから尾鷲北インターチェンジまでが全線開通する予定(現在は紀伊長島IC~海山ICは工事中)となっています。
国道42号線を南下するルートに比べたら、かなり移動時間を短縮出来る筈。
ですが、それでは、三重県の良さを到底理解して頂けるとは思えません!!
なので、私達は、あえてローカルなルートを選択しました。

今回我々が選んだのは、国道311号線!
尾鷲市→熊野市の海岸線に沿うように走っている国道です。
一部は工事され、広くて快適な道路になりつつありますが、対向スレスレのような場所も所々残っているので、注意が必要かもしれません。
そんな国道311号線沿線を、ご紹介したいと思います。

今回の放浪の旅・・・出発地点に選んだのは、ここ。
「花の窟(いわや)神社」

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国道42号線沿いにある「日本最古の神社」です。
御祭神は「イザナギノミコト(伊弉諾神)」、その子供「カグツチノミコト(軻遇突智命)。
「イザナギノミコト」とは、「アマテラスオオミカミ(天照大神)」「ツクヨミノミコト(月読命)」「スサノオノミコト(建素戔嗚尊速)」を産み出した、国産み・神産みの皇祖神。
社殿はなく、神社の背後にそびえ立つ大きな岩が御祭神。
元々は「イザナギノミコト」の陵墓として認識されていたようで、神社として登録されたのは、明治時代以降。
ですが、この地からは三千年前の祭祀道具が発見されており、日本書紀にも、その由来が記されている事から、かなり歴史と由緒のある“聖域”であった事は、確かな事実。

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こちらの神社は、「御綱掛け神事」が有名ですよね。春と秋の2回行われ、三重県無形文化財にも指定されています。

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神事に使われる、日本最長とも言われる御綱は、全て、地元の方による手作りなんだそう。
それを、氏子達が自らの手で掛け渡しを行います。

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ちなみに、網の途中でぶら下がっている旗縄(三流の幡・みながれのはた)は、「アマテラスオオミカミ」「ツクヨミノミコト」「スサノオノミコト」を・・・メインの綱に束ねられている7本の細縄は、火の神・水の神・土の神・木の神・草の神・海の神・風の神の、七つの自然神を表しているんだそうです。
そして、この日・・・よく観てみると、綱が2本掛けられていますよね。
これは、綱は切れるまで外される事なく、そのまま残される為、運が良ければ、春・秋の例大祭の2回分の綱が掛けられた、こんな状態の御綱が観られるとの事。とっても縁起が良いそうですよ♪(←ちなみに2012年10月に訪れた時は1本だけでした)
これは、旅の始めから何とも幸先良いではございませんか!

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ちなみに、手水舎の隣にデンッ!と置かれている、この丸い岩。
その由来は不明ですが、撫でたり触ったりすると良い・・・との事なので、是非触って、パワーを頂いて下さいね♪
それと・・・ここの神社へ来られたら、是非国道を渡って、海岸線に降りて頂きたい!
すると、神社の全貌を見る事が出来ます。
その不思議な光景・・・実に絶景です!
約1500万年前、この熊野には巨大な火山があり、大規模な火砕流が噴出。和歌山県串本町~三重県南牟婁郡に掛けて、巨大な陥没カルデラ(熊野カルデラ)が出現しました。長い年月の浸食を受け、そのカルデラははっきりとは残っていませんが、この辺りに点在する大きな奇岩達は、その火山活動の痕跡なんだそうです。
この辺りに温泉が多いのも、その熊野カルデラの火山活動の産物なんだそうな。
もちろん、この花の窟神社も、そんな熊野カルデラの一部。

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平成16年には、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、世界遺産にも登録されました。
こちらの神社で、是非その自然が産み出した神秘の造形と、地質遺産に触れてみて下さい。

☞キャンピングカー一家のプチ情報
花の窟神社前の「お綱茶屋」は、10時からの営業です。
施設内のWCも、営業時間内のみしか開放されていないようなので(駐車する事は可能)参拝の際は、神社の真ん前にある、国道沿いのWCを利用しましょう。こちらは、朝8時前にも関わらず、使用可能でした♪

「花の窟神社」熊野市有馬町上地130 

>>「花の窟神社」の基本情報こちら!

次に私達が目指したのは「徐福(じょふく)の宮」。

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国道42号線を尾鷲市に向かって北上しますとと、鬼ヶ城を超えた最初の交差点“大泊交差点”で「国道311号線」に分離しますので、それを右折。
右手に大泊海水浴場~熊野灘を眺めながら続く、この国道311号線。それを道なりに延々と進むと、山と海がせめぎ合うような・・・そんな勾配のキツイ集落の一角、波田須(はだす)の町に「徐福の宮」はあります。

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日本に何ヶ所が伝わる「徐福」伝説の中の一つが、この三重県熊野市波田須町。
今から約2200年前・・・「徐福(本名・徐市=じょふつ)」という方士(学者?)が、東の海にある三神山(方丈山・蓬莱山・瀛洲山)に住む神仙が持つと言われる不老不死の薬を分けて貰う為、秦の始皇帝の命を受け、中国を出向しました。
司馬遷の「史記」にも登場する話で、その時、徐福が引き連れていた童男童女や技術者は三千人以上とも。一説には、始皇帝の圧政に耐えかねた徐福が、薬を探すという名目で、移住を企て、中国を脱出した・・・とする説もありますが、そんな徐福達が辿り着いたのが、ここ、波田須の矢賀(やいか)地区だったというのです。

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徐福は、この波田須の地に永住する事を決意。地元の方達に、中国の優れた技術(焼物、薬学、土木、農耕、捕鯨など)を伝えたのだそうです。
そして、徐福はそのまま二度と中国へ戻る事なく、この熊野の地で、その生涯を終えました。

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そんな彼の亡骸を弔ったお墓が、「徐福の宮」の中にあります。
「矢賀の蓬莱山」と呼ばれる、小高い丘の上に建っています。
かつては、明治時代の神社合祀令により波田須神社と統合され廃止されますが、里人の、徐福に対する強い信仰心から、戦後に再びこの地へ戻されました。
そんな波田須の町や人々を、ずっと見守り続けて来た、この宮・・・
是非、間近で、その悠久の歴史を感じてみて下さい。
ちなみに、彼がこの地で発見したという“天台鳥薬”(不老不死の薬?)は、宮の周囲に今でも自生しているそうです。
お隣の和歌山県新宮市「徐福公園」には、それを煎じたお茶が売られているそうですよ。機会があれば、その中国四千年の歴史を、是非一度、味わってみたいです(苦笑)
集落の中は道が狭く、キャンピングカーのような大きな車では、宮の近くへはまず入っていけませんので、ご注意!歩きで行かれる事をお勧めします(汗)

歩いていかれる際は、こちらの建物を目印にされると、分かりやすいかもしれません。
それが「徐福茶屋」。

この辺りの地区には、古代信仰の道「熊野古道」が通っています。

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「徐福の宮」への道も、一部「熊野古道」と重複している部分もあり、この日も、何人かの方が歩いていらっしゃいました。
そんな古道を行き交う人々の空腹を癒しているのが、ここ「徐福茶屋」なんです。
「徐福の宮」や、波田須の町を一望出来る、国道沿いの高台に建っています。

小さな茶屋ですが、そのテラスから見える景色は、まさに絶景!
美しい蒼い海が眼下に広がり、本当に素晴らしいです!

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こちらでは美味しいさんま寿司や稲荷寿司、その他野菜や雑貨なども売っています。
もちろん、販売しているお寿司などは、こちらのテラスで食べる事も可能。

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最高のロケーションで味わうお寿司は、本当に美味しかったです♪サービスで、お茶を頂きました。ご馳走様でした!
駐車場は、道路の向かい側に3台有り。
こちらに駐車すれば、「徐福の宮」までは、すぐ近くです。
宮までの道のりは(結構)ハードですが、茶屋から見える美しい景色で、おそらく疲れも吹っ飛ぶ事と思います。

ちなみに、こちらの“波田須”の地名ですが、“秦から来た人間が住む場所”という事で、
秦 → (はた)→ 波田
住む → 須
・・・と変化し、「波田須」になったという事です。

“矢賀(やいか)”という名も、徐福が付けたとされ、現在でも“矢賀(やが)”姓を名乗る方が多く見えるとか。
お店の方がとっても気さくな方で、色々教えて下さいました♪
こちらの茶屋さんには、波田須の散策マップ(無料)が置かれています。
徐福の里を探索される際は、是非立ち寄ってお求め下さい~!

「徐福茶屋」熊野市波田須町
      0597-86-0788
      土・日 8時~15時 
HP  http://jofuku.web.fc2.com/index.htm

[googlemap lat=”33.913864″ lng=”136.140795″ align=”undefined” width=”400px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]三重県熊野市波田須町454−3[/googlemap]

☞ちょっと寄り道
「弘法大師の足跡水」
「徐福の宮」へ行く途中に、こんな所を見つけました。

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弘法大師・空海の伝説は、日本の至る所に存在しますが、ここ熊野市波田須で
も発見致しました!
何でも、この地を訪れたお大師様が付けた足跡から、コンコンと水が湧き出して
いるのだというのです。
これは是非見てみたい!!
・・・という事で、薄暗い石畳の道に戸惑いながらも、そのまま登っていくと、
傍らに小さな祠が。
どうやら、そこが「足跡水」らしく、その祠を覗き込むと、確かに、足跡(草履
の足跡??)のような形が・・・。
そして、そこにうっすらと水が溜まっていました。

お大師様が杖で地面を指すと、そこから清水が湧き出した・・・という伝説はよく聞きますが、こちらは、何と足跡!貴重な奇跡の瞬間を、目の当たりにするチャンスかもしれません(苦笑)
ちなみに、こちらの水は万病に効果が有るとされていて、どんなに暑い日が続いても、決して涸れる事は無いといいます。
信じるか信じないかは、あなた次第です(汗)

国道311号線の旅は、まだまだ続きます。(後編へ)