第2回:石黒光茂さん 「Jターンでサンキャッチャーと自然農」(三重県津市)

投稿日: 2013年11月12日(火)14:14

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第2回「三重移住者
石黒光茂さん(三重県津市)
Jターンでサンキャッチャーと自然農




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石黒光茂さん

1975年津市生まれ。
大学時代卒業後、地元のIT関連企業に就職。
その後、バイクで世界放浪の旅の末、27歳の時にドワンゴにアルバイトを経て入社。
第二子が生まれることをきっかけに三重県津市美里町に移住。
地元のさまざまな活動に参加しつつ、得意のIT分野での事業展開を模索中。



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三重県津市美里町。
2006年に津市と合併する以前は、美里村と呼ばれたのどかな田園地域だ。
複数の集落からなる美里町のなかでも、とくにロケーションが美しい家所(いえどこ)地区に家族とともに住む石黒さん。
鉄骨造2階建の倉庫兼住居を自分の手でリフォームし、快適な田舎暮らしを満喫している。



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■街から田舎へ、シフトチェンジ



石黒さんは、三重県津市出身。
東京での生活を経て戻ってきているのでUターン組と呼びたいところだが、実際はJターンだ。
現在の津市は広大な面積を持ち、市の東北端から南西端まで車で2時間もかかってしまう。
石黒さんが生まれ育った地区は、津市中心部の新興住宅街。
いわば“マチの子”だ。


現在住んでいる地域は津市内でも西に位置する中山間部で、鹿や猿が日常的に見られる田舎だ。
街っ子の石黒さんが、都会での生活を経て田舎暮らしを始めたきっかけは、その自由闊達な生き方によるものかもしれない。
現在の生活スタイルをお伝えする前に、彼のユニークな略歴に少し触れてみたい。



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地元高校を卒業後、石黒さんは北九州の大学へ。
専攻は工学部環境化学科という何やら難しそうなところだ。
「もともと自然は好きだったので、環境に関連する勉強をしたかった」のだ。
学内の情報センター室でバイトに明け暮れ、IT関連の知識を積み重ねたのもこの時代。
卒業後に地元のIT関連企業に就職したのは自然な流れだ。
世の中はまだネット黎明期。
プロバイダーやネット保守事業などでIT企業が急成長してきたころだ。



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仕事の合間の休日、石黒さんはバイクにのめり込む。
職場の同僚に誘われ始めたツーリングも、いつしか日本全国を回るほどに。
「若いころに世界を見たかった」石黒さんは、その思いを実現するために24歳で会社を退職。
愛用のバイクとともに神戸港からアジア大陸へ渡り、途中でバイクからバックパックに変わり、東南アジア周遊、ユーラシア大陸横断、中近東を経て東欧州、エジプトから南米大陸へと2年半をかけて世界中を回った。


27歳のころに帰国。
「その土地に住むことで「生活する」という意味がようやく実感として分かったきがした」と内面的にも変化が訪れる。
自身は日本にいながらにして、まだ気分は“旅の途中”。
パックを背に東京に出かけ、シェアアウスを基点に都会での「旅」を続けていた。



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ちょうどその頃に、得意なPCを活かし見つけたアルバイト先が、ドワンゴだった。
今でこそ、ニコニコ動画などで、誰もが知る有名企業だが、当時は携帯の着メロなどで、成長過程まっただ中の会社だったのだ。
石黒さんは、ここで自由な社風に触れ、本来の自由な資質をを前回させる。
気がつけば、5年。
その間に現在の奥さんとも結婚。
長女をもうけ、職場では部門管理者として生活も安定していた。


街の刺激を満喫しつつも、自身のなかで物足りなさを感じていた石黒さん。ちょうどその頃にと東北の大地震が起きた。奥さん・惠さんのお腹のなかにはふたりめのお子さんもいた。ふたりは迷わず、東京を去る決意を固め、石黒家の田舎暮らし探しが始まった。



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■地元はつまらんところ?



実は、惠さんと石黒さんの実家は目と鼻の先。
ふたりは幼なじみだった。
純愛を貫き通して、ゴールインしたのも微笑ましいが、2人の実家が近いので新居は、迷わず三重に決まった。
しかし石黒さんは当初、津市エリアは候補として頭になく、伊賀市の丸柱地区や赤目地区に魅かれていた。
ネットを使い津市美杉町の空き家バンクも調べたが「津はつまらんところ。新しいことや出会いもない」と若き日の地元生活からは、そう感じていたのだとか。
もちろん現在は、その思いはない。
住めば、ユニークな人々の宝庫だということも知った。



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「ネットでは、ほとんど空き家物件が出てきませんが、実際に足であるけば田舎には空き家がいっぱいあることが分かった」が、貸してくれる大家さんは皆無。
三重県の鈴鹿山麓周辺を北から南まで、いろいろと探しましたが、ヨソモノには排他的な地域も少なくなかった」と当時を振り返る。


「そのなかで、美里町、とくにこの家所は違ったんです。
田舎道を家族で歩きながら、空き家を探していると出会った地元のかたが畑で採れた野菜をくれたり、区長の家を教えてくれたり…」

住民がとてもフレンドリーなことに驚きつつも、住むならこのエリアにしようと決めた。



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地域のキーパーソンを紹介してもらったり、顔を知ってもらったおかげで、その後は順調に新しい住まいを見つけることができた。
新居は、倉庫兼住居として使われていた2階建。
大家さんのご好意で、現状復帰なしで自由にリフォームしてよいという好条件だった。




■田舎もん暮らしの楽しさ



まず始めたのが住宅のリフォーム。
昭和な雰囲気の板張りの壁や天井を白い漆喰塗りに。
不要なドアを外し、風通しの良い明るい住まいに。
キッチンや玄関も石黒流な雰囲気に仕上げた。
家のところどころに長女・そらちゃんが描いたかわいらしい絵もあって、親子4人が快適に生活できる空間が生まれた。



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家を探していたころに知った、地域に住む木工作家やガラス工芸作家、建築士などとも家族ぐるみでの交流も始まる。
また近くの氏神に毎年奉納される「ジャンボ干支」を製作するグループにも加わり、すっかりと地元住民の仲間入りを果たした。
家から歩いて3分ほどの畑を借りて、肥料も農薬も使わない自然農法での野菜作りにもチャレンジ。
虫や鳥たちの被害にも遭いつつ、農作業を満喫しているようだ。


また昨冬は、隣村に住む知り合いに誘われ、生まれて初めての鹿の解体も経験。

「実際に生きている鹿を殺し、肉にさばく体験は貴重なものでした」

獣害の被害が年々増え続ける三重県では、鹿の捕獲は珍しいことではないが、「生き物を殺し、さばいていただく」感覚は、街では知ることはできない。
自然との共存が、生活の一部になっていることを実感するのだ。



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■石黒さんのこれから



「2013年いっぱいは、やりたいことをやってよい」と惠さんからもOKもらっているんですが、来年からは、生活基盤をきちんと作っていかないと…」と石黒さん。
ネット環境が進んだ現代では、田舎にいながらにして、さまざまな仕事ができるようになった。
しかし、IT関連の需要は都市部とは比べようにもならない。


「週に1回津駅近くでコンピュータを教える講師をしたり、単発での仕事をやっています」と新しい基盤作りはこれからのよう。
子ども対象に「プログラミング・ワークショップ」を開催したり、自宅でパソコン教室を始めたり、徐々に動き始める石黒さん。



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またITとは全く無関係の「サンキャッチャー」という虹を作りだすモノづくりにもチャレンジしている。国内で開かれているマルシェやモノづくりの人達が集まるイベントにも参加して、生活を楽しむ幅も広がってきているようだ。

「子どもを田舎で育てたかったんですね。でも一番楽しんでいるのは自分かも。“津の田舎”はおもしろいです(笑) 石黒さんの現在の田舎生活は、今だ“旅の途中”なのだろうか。また数年後にその答えをたずねてみたい。



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文 立岡茂
写真 山羽宏樹(一部石黒さん提供)

2013年10月15日