2008年3月7日(金)
サルシカ隊が自由に集まれて、遊べて、宴会できて、時には打ち合わせや仕事もできたりする空間。
そんなサルシカ隊の秘密基地が欲しいなぁ、と何人かの隊員と考えていた。
土地は隊長の家の前に、無意味に広い空き地が広がっているし、それこそ山や林であったら、自由に使えるところがアチコチに転がっている。
これはサルシカ隊、およびサルシカ隊員が金持ちというわけでは決してない。
田舎なので、土地が余ってるというだけの話である。
土地があっても建物はない。
そして建築費用はもっとない。
「じゃあ、自分たちでつくっちゃおうぜ」ということになった。
カメラマン準と隊長の私二人で、秘密基地の建設予定地を視察したが、なんということはない。私の家の前にフラフラと歩いていっただけの話である。
しかし自分の土地でありながら、草刈以外で足を踏み入れることはほとんどない。
冬の間は草が生えないので、入ったのは本当に久しぶり。
もったいない話である。
かつては3段の田んぼだったという話だが、現在は雑地。
150坪ほどの上段は、駐車場兼薪置き場に使っているが、同じく150坪ほどの中段、100坪程度の下段は何にも使っていない。
しかし、こうして空き地を見つつ、「あそこにこんなの作ろう」とか「ここにアレつくっちゃおうぜ」とか言ってると、なんだかめちゃくちゃ楽しいのだ。
まずこの石垣に沿って、秘密基地のメイン施設である司令塔をつくろうと勝手に考えた。
我われサルシカ隊の司令塔である。
当然中で焚き火ができなくてはならない。
「それでは焚き火小屋ではないか」という声が聞こえてきそうだが、我われはもう夢想の人となって満足してるのだ。
加納「そうや! 司令塔の横(写真で見るとサルシカ号前あたり)には、露天風呂をつくろう! 山を見上げつつ風呂に入ったら最高やでぇ」
奥田「だったら宿泊施設も必要やなぁ。トレーラーハウスを置こう!ボロいのを手に入れて直せばいい」
加納「ここの石垣を崩して車もは入れるようにしよう。オートキャンプもできるぞ」
夢はどんどん膨らむのである。
しかし自宅の前で宿泊施設だのオートキャンプだの、いま改めて思い返すと、非常に愚かなことを考えているのである。
それに、自分たちでいろいろやるにしても、相当費用がかかるのだ。
それにいつやるのか、ということも大きな問題である。
毎週末「活動」という名を借りて遊びまくっているのに、これ以上どうやって時間を捻出するのか。
「うーん・・・」
考えても答えが出てくるわけでもないし、そもそも考えるのが苦手なので、カメラマン準と私の2名は、すぐさま車に乗り込み、別のところに遊びにいくのであった。
カメラマン準と隊長の私は、長野峠まで走り、細い林道へと入った。
何の目的もない。林道探検である。
40歳をこえた大人が何をやっているのかと自分でも思うが、いやいやこれがなかなか楽しいのだ。
林道のほとんどは地図にも載っていないし、カーナビにも表示されないので、本当にどこにつながっているかわからないのだ。
そのほとんどは行き止まりだけれど、なんだかワクワクしつつ入ってしまうのである。
林道に入って2キロほど。
かなり道が細く険しくなったところで、遊歩道らしきものを発見する。
そこは世界遺産に登録された「熊野古道」ならぬ「長野古道」であった。
あとでネットで調べてみたところ、あまり情報はなかったが、かつて伊勢の国と伊賀の国をつないだ主要街道で、なんと松尾芭蕉も歩いたことがある道だという!
結構険しい長野峠を越える道でもある。部分的に整備されてはいるものの、かなり荒れ果て、いまは歩けるかどうかもわからないという。
しかし、現在はもう使われなくなった旧長野トンネルも森の中にまだひっそりと眠っているらしく、我われサルシカ隊の探検心をくすぐるのだ。
「近々、長野古道をトレッキングしよう!」
「津と伊賀の文化、そして歴史を歩いて学ぶのだ!」
我々はふたりだけで勝手に盛り上がり続けるのであった。
長野古道に別れを告げ、林道をさらに進む。
どんどん標高があがる。
5キロほどさらに進んだところで、いきなり工事中で通行止め。
車を降りて、更に歩いて登ってみると、視界が急に広がり、眼下に町並みがみえた。
津市美里町、役場付近である。
残念ながら、カメラマン準の家や、我が家までは見えない。
ここでカメラマンは撮影し、短い林道探検は終わったのである。