泥田からの生還 第70回「サルシカ農天記」

投稿日: 2016年05月13日(金)07:41

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休耕地を活用し地域活性化を目指すサルシカ隊は、昨年までの第一、第二田んぼに加えて今年新たに第三田んぼも耕作することとなった。

サルシカ秘密基地から車で五分のところにある通称「板谷」という美しい谷間にある田んぼを老齢で米づくりを止められた方からお借りした。

できるだけ農薬や化成肥料を使わない農法を目指して昨年の秋から田んぼに水を入れ用意してきた。その様子はこちらから。この試みが恐ろしい結果を招く一因となるのをこの時点では知る由もない。

5月になり田植えの準備の季節になった。まずは代かきをせねばならない。せっかく冬季湛水で育ててきた土をあまりかき混ぜたくなく、苗を植えるに必要なだけの深さを代かきしようと、愛用の耕運機を駆り田んぼへ乗り入れた。

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が、しかし! 耕運機は田んぼに乗り入れた途端にズブズブと泥に埋まっていった。耕運機のタイヤは虚しく空転し、押しても引いてもまったく動かない。

この様子をフェイスブックに投稿したところ、サルシカ隊副隊長であり農業部門の棟梁であるきよちゃんがものの5分で駆けつけてくれ、軽トラですぐさま引っ張り上げてくれた。

そして右側の畦に沿ったところなら泥が浅いので行けるかもとアドバイスをいただいた。

素直な私はそのアドバイスを疑いもせず即実行に移した。たしかに耕運機はタイヤを空転させながらも数メートルは進んでいった。

が、しかし! 数メートル進んだところで深く沈み込み先ほどと同じ状態となった。こんどはより深く沈み込み、何をしても動かなくなった。軽トラで引っ張りあげようにも向きを変えることもままならない。このあたりからの写真はありませんので文章のみでお楽しみください。(笑)

もうきよちゃんも呼べないし自力でなんとかせねばと決心した私は、まず耕運機を田の出口に向けて、そのあと軽トラで引っ張り出そうと方針を決めた。

耕運機の鼻先にロープをしばりつけ、軽トラに結ぶ。そして軽トラに乗り込み少しずつ前進させロープをピンと張って軽トラのサイドブレーキをかける。そしてこんどは耕運機に戻り、そのハンドルを持って全力で揺するとロープの張力で僅かづつだが耕運機の向きが変わる。これを数回繰り返して、耕運機の向きを出口に向けることに成功した。さすが理系の俺。きっとすんごいドヤ顔してたと思う。泥に隠れて見えなかったかもだけど。(笑)

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そして軽トラに乗り込みゆっくりと耕運機を牽引し、田んぼの外へ救出した。およそ2時間ほどの戦い。もう精魂尽き果てました。

疲れた体を休めでフェイスブックを見ていると、サルシカ隊の坂下さんから田んぼ専用の耕運機のタイヤを持っているから貸してくれるとの一報が。おお、田んぼの神は私を見捨てていなかった。さっそく彼の家に行きお借りしてきた。

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借りてきたタイヤを隊長に手伝ってもらい取り付ける。よそ行きの白いシャツを着ていたのに無理言ってごめんね。

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見てください!このたくましい足元を。これだけ大径なら深い田んぼも何のその。すぐさま田んぼに向かいたかったが、夕方近くでもあり体力も限界だったのでこの日はこれで終了。

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じゃ〜ん! 翌朝早く、田んぼに向かった。そして今日の成果を期待して美しい耕運機を記念撮影。

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が、しかし! 順調に進んでいった耕運機は田んぼの中ほどでまたまた動かなくなった。中ほどは泥が固く、泥をかき分ける抵抗が大きくて車輪が進むことができないのだ。ああ、なんということでしょう。

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この様子のフェイスブックへの投稿をみたきよちゃんがさっそうと登場。こんどは大型トラクターで。

引っ張り上げてくれるのかと思いきや、もう無理だからトラクターで耕そうと。そして昨日から黙って見てたけどきっと失敗すると思って今日の予定を明けといたのさと私に引導を渡す。

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私が完落ちした瞬間。(笑)

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そして私の耕運機を放置したままきよちゃんはどんどん田んぼを代かきしていく。耕運機は代かきが半ばのところでまわりの泥が柔らかくなった頃合いに動かしてみると、何もなかったように普通に動いて難なく田んぼの外へ出せた。きよちゃんは何でもお見通しだったのだ。

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大型トラクターの力はすごい。数時間後には硬かった泥がトロトロになり、なにもなかったように代かきが終了した。

関係者の皆さま いろいろお騒がせしました。助けていただいてありがとうございました。

最後に敬愛する開高健の文章を。

アタマでいくらわかってもそれを許さないものがあるのだ。
グラスのふちは一度でも舐めたらとことん底まで飲んでしまわなければならないのである。
“愚行”とわかりきっていることでもついつい心身を浸さずにはいられないことがあるのだ。
そもそも生そのものが愚行の無限の連環ではないのか?