三重の100人 6人目「伊賀忍者・浮田半蔵」

投稿日: 2010年01月22日(金)07:28



忍びの里、伊賀
飛鳥、奈良、京都と、いにしえの都と深い山々に囲まれてきたこの地では、独特の文化が育ってきた。

そのひとつが、忍者
戦乱の世を駆け抜けてきた実在の影の軍団。

現在、その忍者のふるさとには年間270万人もの観光客が訪れる。
伊賀の人気を支える忍者の存在に迫る・・・・・・。




伊賀上野城。
藤堂高虎が築城したこの城の中に、現代忍者の拠点がある。

伊賀流忍者博物館。
さまざまな仕掛けやからくりが施された忍者屋敷が見学できる他、
実際に使用された手裏剣など、400点におよぶ忍者実在の証拠をみることができる。




そしてその博物館内に併設されているのが、伊賀忍者たちが実際の忍具を使ってアクションをみせる「忍者実演ショー」。




真剣を使い、地を跳ね、宙を舞う15分。
まさに見ごたえタップリのショー。

年間ステージ数、なんと1700回!
ゴールデンウィークなどは、1日で16ステージをやることもあるという!

そんな現代忍者の名は・・・「伊賀忍者特殊軍団 阿修羅」。
頭の浮田半蔵氏、長男の昌之助、次男の知之介を基本メンバーに活動している。

今回の三重の100人は、現代を生きる忍者だ!!




浮田半蔵 50歳

三重高校卒業後、ブルース・リーに憧れ、アクションと大道芸の世界へ。
三重・京都・東京で修行を積む。

得意技は鎌術(鎌を使ったヌンチャク等)。

本物の武器を使ってのアクションが認められ、とんねるずといっしょにテレビに出演していたこともある。

3児の父、お酒は飲めない。

最近、パチンコを覚えてしまった(笑)。








【三重カルテ】

Q1 生まれたところはどこですか?

   
   三重県四日市です。



Q2 生年月日を教えてください。

   
   昭和34年12月19日です。



Q3 三重県を離れて暮らしたことはありますか?

   
   東京、京都で暮らしたことがあります。
   そんなに長い期間ではありません、数年って感じですかね。



Q4 なぜ三重県に活動拠点を置かれたのですか?

   
   どこにいても同じですから、すぐに移動できますね。
   あとは仕事の面でも生活の面でも、三重県はとても環境がよかったんです。



Q5 三重県でお気に入りの場所は?

  
   それはもう・・・伊賀です(笑)。



Q6 三重県でお気に入りのお店とかありますか?

   
   上野城そばの「カフェ&レスト たちばな」です。
   もうしょっちゅうお世話になってます(笑)。



Q7 三重県に住んでいて「よかったなー」と思う瞬間は?

   
   こうやって伊賀でお客さんに楽しんでいただいて。
   それで食べていけるのですから、もうそれだけで毎日幸せです。



Q8 逆に三重県に住んでいて「つらいなー」と思ったことは?

   
   前向きでない人がちょっと多いかな・・・と。
   もっといろいろ挑戦してほしいし、そういう環境であってほしいです。



Q9 あなたが考える三重の自慢は?

   
   自然です。
   三重というと四日市の公害のイメージがあるかも知れません。
   でも海、山、川と本当にいいところです!



Q10 「住みたい都道府県ランキング」三重県は何位?

   
   うーん・・・1位にしときましょう。
   暮らしてる場所だから!(笑)










現代忍者・浮田半蔵は忙しい。
ステージの合間に餅を焼きつつ、ハフハフほお張りつつ話を聞いた(笑)。




――やはりきっかけはブルース・リーですか?


そうですねぇ、やっぱり。
私はもともと野球少年だったんですよ。
でも高校のときに肩を壊して・・・。

当時はブルース・リー全盛の時代でしたら、そのまま憧れて大道芸の世界に入ったんです。

師匠についていろんなところを回りました。
そこで鎌ヌンチャクなどの鎌術を覚えたんです。



――それがなぜ忍者につながっていくんですか?


これが長い話なんですけどね(笑)。
大道芸の世界は、3年ぐらいで師匠に放り出されたんですよ。
「もうお前は一人前だから、ひとりでやってけって」。
でも食えないから、アルバイトしながら京都や東京へいって修行して・・・。

東京ではラッキーなことにあるテレビのプロデューサーの目にとまって、いろいろな番組に出させてもらいました。
とんねるずの番組に一番出させてもらったかなぁ・・・。
でも食えないんですよ。

それで三重に戻ってきて、大道芸の延長みたいな形で、この伊賀上野城で勝手に忍者ショーみたいなのをはじめたんです。
そしたらずいぶんと人が集まるようになりましてねぇ。
博物館に入るお客さんの邪魔になるぐらいになってしまった(笑)。

そこまでお客さんが集まり、喜んでもらえるなら・・・と観光協会の方からお話をいただいて、博物館の施設内にステージをつくっていただくことになったんです。





――ラッキーだけでは片付けられない、すごい話ですね。


それが10年ちょっと前の話。
それからですよ、私がようやくこの道で食べられるようになったのは。
40歳まで食べられませんでしたから。

観光協会や博物館のみなさんには本当に感謝してます。
だから、お客さんにどれだけ来ていただいても喜んでいただいても、絶対おごらないようにしようと思ってますし、息子たちにも厳しく言っています。





――しかし、入場料200円というのは安すぎませんか?


確かに命がけのところもありますから・・・ね。
でもたくさんのお客さんに楽しんでもらいたいし、何度も何度も楽しんでもらいたいんです。それが伊賀の人気につながりますし、伊賀への恩返しだと思っているんです。

とはいえ、そのためには工夫もいろいろしています。
例えば音響やセットなど裏方スタッフは実はひとりもいません。
チケットの販売から、音響まですべて自分たちでこなしているんです。




――忙しい時期は1日で16ステージをこなすと聞きましたが・・・。


春休み、ゴールデンウィークはずっとそうですね。
それでもお客さんが入りきらないことがあってご迷惑をおかけしてます。




――しかし真剣を使い、あの激しいアクションですから・・・。


もう終わったらボロボロです(笑)。
食事もする時間がありませんから、終わったら倒れこみます、本当に。

この仕事は何より体力ですよ。
あと怪我が一番怖いので、11月から2月までのオフシーズンにしっかり体をつくります。




――どういったトレーニングを?


基礎体力をつけるためには走りこみですね。
筋力トレーニングもやりますし、ストレッチも基本です。
忍者はアスリートと同じです。
同じことを徹底的に繰り返す、それができないとダメなんです。



――それだけトレーニングをしていても怪我はする?


しますね。
私も長男も次男も、もう満身創痍です(笑)。
いつもどこかを傷めてます。

まあある程度は仕事なので仕方ないとは思っているのですが・・・。
正直きついですね。

あとおととしはこれまでにない大怪我をしました。
ショーの最中にやってしまったのですが、日本刀で指3本を落としかけました。
幸い手術でくっついたんですが、まだ動きが完全ではなくて・・・。



右上:浮田半蔵氏 右下:長男の昌之助さん 左下:木猿さん
次男の知之助さんはこの日インフルエンザでお休み。忍者もウィルスには勝てないのだ(笑)




――あの、ご自宅は伊賀ではなく、四日市だそうですが。


そうなんです、毎朝、車で通勤してるんですよ(笑)。
イメージ的には古い日本家屋に暮らしていないとダメかも知れませんが、残念ながらごく普通の家です。
まあ生まれ育った家なので仕方ありません(笑)。

あと、我が家はかなりの大家族ですよ。
おじいちゃん、おばあちゃんもいますし。
妻に、ここにいる2人の息子、そしてまだ保育園の三男がいますから。

でもその家族が私の支えです。
そもそも長男、次男がいてくれて、初めてショーになるわけですから。
妻はマネージメントや会計などすべてやってくれていますし、本当に家族で助け合ってやっています。
三男も手裏剣とか投げ始めました。これは笑えますよ(笑)。





本物の刀、鎌がショーでは使用される。
すごい集中力が要求されるはずだが、それを1日に何回も何回もこなす。




忍者といえば手裏剣!
何種類もの手裏剣を実際に投げてみせてくれる。
ショーは楽しむだけでなく、忍者の実際の姿を学べるのだ。




ショーのあとで、手裏剣打ち体験(5枚で200円)もできる。
忍者と記念撮影も出来るので、気軽に声をかけてみよう!




ショーの内容は100種類近く用意。
リピーターに何度も足を運んでもらいたい、という思いから。

貪欲なまでにお客さんを驚かせ、笑わせ、感動させる。
現代の伊賀忍者は、最高のエンターティナーだ。




関連リンク
■伊賀忍者特殊軍団 阿修羅
■伊賀流忍者博物館
■伊賀上野観光協会




プライベート、テレビ撮影、そして今回の取材で、なんと50回以上も忍者ショーをみている隊長!
忍者の衣裳を借りてご満悦。




撮影:加納準  聞き手:奥田裕久