銭湯いこに Vol.08「怒涛の尾鷲編」前篇

投稿日: 2011年02月20日(日)13:53


写真/松原豊  文/ケロリン&隊長

「2011年の銭湯企画の幕開けは尾鷲からなのだ~!!」
「おおおお~!!」

なぜここまで盛り上がらなければならないのか。
ノーギャラだし、交通費も食事代も出ないのに、なぜみんなワッセワッセと平日に集まってくるのか。
そもそもそこまでこの企画を楽しみに待っている人がいるのか。
そこんところどーなのか。
誰か一度追求して考えた方がよいのではないか。

・・・などとは一切思わず、恒例の企画として今年もはじまるのである。

さて、尾鷲であるが・・・。
県外の人もいるので場所を説明しておこう。

縦に細長い三重の下、つまり南部に位置する漁港である。
火力発電所があって大きな煙突がドカーンとそびえているので、国道42号線を南下していったら、まあ誰でもわかる。

[googlemap lat=”34.070799″ lng=”136.190995″ align=”undefined” width=”400px” height=”300px” zoom=”8″ type=”G_NORMAL_MAP”]三重県尾鷲市[/googlemap]

今でこそ途中まで高速道路が出来たので、サルシカ隊の拠点である三重県津市から車で2時間半ほど、名古屋からだと4時間弱ぐらいで行ける(これでも十分遠いな)が、高速がなかった数年前まではホントに遠かった。

津からおよそ100キロ。
名古屋からだと180キロぐらいか。
距離にするとこんな程度なのだけれど、くねくね道を通りつつ、峠をいくつも越えていくので、果てしなく時間がかかったのだ。

2月3日の正午。
その尾鷲にいつもの面々が結集した。

三重県の銭湯をすべて入りつくした銭湯博士、ケロリン桶太郎。
消えゆく三重の村、そして銭湯にレンズを向ける写真師マツバラ。
ニュースからワンニャンまで語りは俺にまかせろ、ボーノー隊員。
鈴木マサルテル、ツヨインジャーイエローとさまざまなキャラに変身、スズキックス。
そして哀愁のサルシカ隊、隊長のワタクシ、オクダの5名である。

ケロリンは職場が長い休みで、ひとりで和歌山方面の銭湯を攻撃したあと、みんなとは逆に北上して尾鷲入り。
写真師マツバラは、一刻も早く尾鷲の銭湯をフィルムに焼きつけるのだ~、と、巨大カメラを持って誰よりも早く尾鷲入り。
なんたって尾鷲は魚の町。
昼飯は何がなんでも尾鷲で食べなくては・・・と、昼飯前に転がり込んだのは、ボーノー隊員と隊長。
スズキックスは仕事の都合で夜から参加・・・・と、こんな調子ではじまったのだ。

まず最初の取材先である「新生湯」さんへ。
(住所や場所などの詳細は名前をクリック!)
すると、おおお、すでに写真師マツバラが巨大カメラで撮影をはじめているではないか。
普通カメラマンがシャッターを押しているとき、空気が張り詰めたような緊張感が漂うものであるが、彼の場合は違う。
新生湯のおばちゃんにお茶をもらい、せんべいをもらい、昔話などを聞いてナハハハハと笑いつつ撮影している(笑)。
しかも大判カメラのフィルムは非常に値段が高いので、シャッターを切るたびに、
「あああ、生活が大変、これでまた大変・・・・」と、誰にとなく、つぶやくのだ。
そんなとき、他のケロリンや隊長は、壁のポスターを眺めたり、「さてさて、えっと・・・」などと意味不明なことを言いつつ外へ出ていくのであった(笑)。

撮影に2時間近くかかるというので、写真師マツバラを容赦なくそこに残し、他の面々はお昼ごはんを食べにいくことに。

尾鷲といったら魚!!
某テレビ局スタッフ数名が、「尾鷲にいくならココ!!行けぇ行けぇ!!」と激しく推薦してくれた
お店、豆狸(まめだ)。

そのお店は、新生湯から歩いて10分ぐらいのところにあった。
平日の真昼間だけれど、写真師マツバラが孤独にがんばっているけれど、まあまあひとまずカンパーイ!
銭湯あがりの一杯は至極のうまさだけれど、銭湯前の一杯もうまい。
つまりビールはいつでもうまい(笑)。

ここで、みんなが揃って注文したのが、海鮮ユッケ丼。
味噌汁とお漬物がついて950円!
これで文句あるかこのヤロウ、とうほどのボリューム!
尾鷲であがった魚を中心に、とれたて新鮮な海の味覚を盛りつけました、って感じ。
ごま油とタレで和えてあり、うなってしまうほどうまい。

「これはアカン、仕方ないやろ~」というわけで、ビールをもう1本(笑)。
もうすっかりほろ酔いでええ感じなのだ~。

昼めしを終えても、まだ時間があったので、尾鷲の町をそぞろ歩き。
顔をほんのりと赤くしたハゲデブが、「おおおおお」とか「あああああ」などと騒ぎつつ町を歩くのである。
もう迷惑この上ないのだ。

尾鷲の町は非常にコンパクトだ。
ほとんど歩いていけるところにお店が集まっている。
しかも食べ物屋さんや飲み屋、スナック関係がやたら充実している。
路地が縦に横に交差しているのだが、どの路地にも昭和の匂い漂う店が並んでいる。

尾鷲は、銭湯に入って、そのままどっかで飲んで・・・という、清く正しい日本の夜の過ごし方がいまだ出来るところなのである。

それにしても尾鷲はおもろい町だ。
何かがちょっとズレているところが、やたら面白い。

取材に訪れた日は、ヤーヤー祭りの真っ最中。
その衣装が展示販売されていたが、なんかおかしいのだ(笑)。

あと、尾鷲出身の歌手のポスター。
町をあげて応援しているのであろうか、あちこちに貼ってある。

電気屋さんの看板には、「IDO」だとか「TU-KA」だとか「ASTEL」だとか。
もうそんな会社ありませんけど(笑)。

ポテチの自動販売機も発見。
こんなの初めて見た。

さて、そろそろ時間だ。
銭湯へ行こうではないか。

銭湯レポートはケロリン桶太郎がお届けします。

新生湯(しんせいゆ)
尾鷲市港町10-11
営業時間 15~20時
定休日 土曜日

新生湯はとっても小さな銭湯です。
尾鷲の港から50メートルぐらい入ったところ、路地がゆるいクランク状に広がっているところにちょこんと建っています。
幅は6メートルぐらいしかありません。

でもそこを通る人はみんな、その建物が銭湯であることが人目でわかります。
なぜなら玄関がブルーに輝いているからです。おばちゃんが塗っているブルーなのです。

新生湯のおばちゃんはとっても元気です。いつも軽トラで薪を運んできては銭湯の玄関から釜場に一人で運び入れてお風呂を沸かします。

おばちゃんはペンキも一人で塗ってしまいます。
それが少し自慢だったりします。
玄関、脱衣所はまだ手の届きやすい高さ。
だけど風呂場も一人で塗ってしまいます。
だってローラー刷毛があるから。
ところどころペンキが垂れてたりします。
それもおばちゃんの味と思えばいとおしくさえ思えます。

写真を見てください。
風呂場の湯気抜き一人で塗っているなんて考えられますか?しかも古いペンキをはがしてから塗るそうです。
でもペンキをはがすのは苦手なんだそうです。

おばちゃんは高いところが苦手ではありません。高いところが苦手では新生湯の番台は務まりません。
なぜなら煙突に登ってペンキを塗らなければならないからです。
風呂場までならおばちゃんのちょっとした自慢に微笑を返すことができますが、煙突に登られてはただ真顔をさらけだすしかありません。
こんなすごい仕事なのにおばちゃんは自分を指差し「私が塗るんよ」とはにかんでお話ししてくれます。

新生湯のお湯は井戸水で沸かしています。井戸水だからとってもまろやかな肌触りです。山々の恵みがしみ込んだ井戸水なのです。
浴槽は一つだけ。真ん中に仕切りがあって浅いところと深いところに分かれているわけでもありません。5人も入ればいっぱいいっぱいの浴槽がひとつです。
新生湯のお湯はとっても熱いんです。ちょっと油断して浴槽の奥のほうに浸かっていると、マグマのような熱いお湯が吹き出てきてアッチッチです。
でも先客のおっちゃんは「水だしてええよ」と普段見ない顔なのに優しく声をかけてくれます。
お湯が出にくいカランの前に座ると「こっちのほうがええよ」と教えてくれたりもします。

さて、おばちゃんおばちゃんと書いてきましたが、私の父(昭和8年生まれ)より少しだけ年配です。
だから本当はおばあちゃんなんですが、おばちゃんという言い方がとってもお似合いです。
おばちゃんは若い頃も最近も車でどこまでだって出かけています。お父さんといっしょにそこらじゅうでかけているそうです。
でもお父さんは脱衣所の二階にあがる階段からおっこちたそうです。
だからちょっと足腰が悪いそうなんですが、そんなことだっておばちゃんが話せば明るい話になってしまいます。
笑えばいいことが向こうから寄ってくる。
おばちゃんに教えられた気がします。

今度煙突塗るときは連絡してや。手伝うからな。
風呂場のペンキだってまかせといてな。
おっこちて怪我でもされたらこのお湯に入れなくなるから。

なんと新生湯のおばちゃんは、我々にサンマの丸干を土産にくれました。
取材をさせていただいた上にお土産まで。
おばちゃん、どうもありがとう。
いつまでもお元気で。また来るから。

心の底からそう思いながら新生湯をあとにしました・・・・・。

しかし、これで尾鷲銭湯旅は終わりじゃないのだ。
まだ行くのだ。
いや、行かねばならぬのだ。

数日前、新聞で見つけたある記事。
百年の歴史を持つ尾鷲の銭湯が2月末で閉店・・・・・。

なんと!!!
我われサルシカ隊は、尾鷲の町を走った!!

後半につづく。

関連リンク:ケロリン桶太郎の「いこに!三重県の銭湯」