三重の100人 8人目「かじ安大徳」

投稿日: 2011年02月24日(木)23:07

写真/加納準 文/M子


三重の100人、8人目は鍛冶屋さん。

三重県では10軒を切ってしまった鍛冶屋業界に、何故か新たに参入。
独立してまだ数年と日が浅いながら、昨年の『全国推奨観光土産品審査会の商工会連合会会長賞』を受賞されました。

夫である隊長が、彼のナイフに惚れ込んで即購入したこともあり、是非この機会にお話を伺おう!
と、やってきたわけです。




場所は松阪市飯南町。
静かな里山の集落の一角に、工房はあります。

刃物研ぎや修理も請け負ってくれる、まさしく『町の鍛冶屋さん』





『刃物鍛冶 鍛冶安』の赤畠大徳(あかはた とものり)さん。
御年35歳。
この若さで独立開業鍛冶屋さんって・・・色々気になるではありませんか。
シャイな笑顔を見せる赤畠さんに、早速質問。









【三重カルテ】


Q1:生まれたところはどこですか?
A1:
ここ。松阪市飯南町です。



Q2:現在の年齢は?
A2:
35歳です。

(もっと若く見えます!)

Q3:三重を離れて暮らしたことはありますか?
A3:
あります。大学は大阪で、修行先は京都だったので。



Q4:なぜ三重に活動拠点を置かれたのですか?
A4:
後を継ぐというか、守るというか・・・。



Q5:三重県でお気に入りの場所はどこですか?
A5:
お気に入りの場所・・・行きたい場所でもいいですか?
  人がいないところ・・・熊野古道とか。



Q6:三重県でお気に入りの店はどこですか?
A6:
松阪のうどん屋さん『徳八』!


(なんと! M子と一緒であったか!)

カレーうどん美味しいよね!月に一回は行きます。あそこの店主さんもいい感じで・・・

(と、談義が続く)

Q7:三重県に住んでいて「よかったなー」と思った瞬間は?
A7:
この職業に関していえば、ですけど。
お茶や松阪牛が名産なここ松阪・・・というか飯南には『工芸』の特産がなかったので、却って注目してもらえた。



Q8:逆に三重県に住んでいて「つらいなー」と思ったことは?
A8:
TV番組が東海寄りなため、以前暮らしていた大阪などと比べてお笑いが少ない(笑)
野球も阪神戦がもっと観たい!



Q9:あなたが考える「三重の自慢」は?
A9:
いい意味でマイナー。
良くも悪くも突出していない・・・公平な県という感じ。
  だからこそ、もっとメジャーになれる要素はあると思うけど、個人的にはマイナーなままでいて欲しい(笑)



Q10:「住みたい都道府県ランキング」。あなたなら三重県を何位?
A10:
『三重自慢』の項目を踏まえると、やっぱり真ん中くらいですね(笑)。
   一位ではない代わりに、最下位でもないんで。










何というか・・・朴訥というか自然体な方です。

工房は、広い建築倉庫の片隅。




ここで、包丁作りの様子を見せていきます。

と、柔和な表情が一転、
職人のそれへと変わります。




鉄に『刃』の部分となる鋼を貼り付け、炉へ。




温度は約1000度。
一瞬たりとも目が離せません。




鉄と鉛が溶け合ったところで、機械の鎚で鍛えます。
カンカンカンカンカンカン・・・!!!
徐々に形を変えていく鉄。




しかしものすごい音です!




そのため、イヤマフは欠かせないのだとか。




成型しながら、鍛えては炉へ・・・を数度繰り返し。




中子(柄の中に入る部分)を作り、
その後、藁灰で一晩鈍し(冷まし)ます。




さらにここからは『研ぎ』の作業。




グラインダーで削り、叩き、研ぎ・・・。

一本完成させるのに、およそ一週間。
常に火と向き合い、熱く、一瞬でも気の抜けない、危険かつ孤独な作業です。

と、ここで気づいたのが休憩所らしき場所がないこと。

せいぜい椅子が数脚。
お茶を飲む空間もありません。


–ほぼ一日ここにいるんですよね。休憩とかしないんですか?


赤畠「いったん作業に入ると、ガーッとのめりこんじゃうんです。休憩は昼飯時に家に戻るだけです。
 イヤマフしてるんで、人が来ても気づかないし」



–すごい集中力ですね。
 それだけ『鍛冶』という仕事に命を注いでいるように感じますが・・・。
 わざわざその職業を選んだということは、小さな頃からの夢だったとか?


赤畠「いやね・・・、僕、大学は大阪なんですよ。大阪体育大学。
 体育の先生になろうと思ってて、母校の相可高校に教育実習も行きまして」



ええ!?
全然『鍛冶屋さん』と関係ありません。
何故、どうして。

しかし物語はここから始まるのです。

結局、赤畠さんは教職は取ったものの職にはつかず。
大阪の楽器屋さんなどでのアルバイト経て、飯南の実家に帰り、父親が経営する鉄筋建築会社の手伝いをする日々・・・。


–そのまま後を継げば良かったじゃないですか。


赤畠「うーん・・・。
 それは何かくやしいというか・・・。
 親父は僕より身体も大きくて頭も良く、めちゃめちゃまっすぐな人。
 僕が何か言っても、正しく理路整然と返されるので、全然叶わないんです」






–あれはお父様が書かれたんですか?


赤畠「(苦笑しつつ)そうです。格言好きで常に正しい人・・・何となくわかるでしょ。
 親父の下(もと)にいたら、一生親父を超えられないな、と。
 だから、何か一つでも親父に勝ちたくて。
 『これに関しては、アイツ(赤畠さん)にしかわかれへん!』・・・と言えるものが欲しかったんです」




父親を超えたいという思いが、赤畠さんを突き動かしたのです。

そして彼が『鍛冶屋』を選んだ理由は。



赤畠「父は鉄筋建築業ですが。
 実は家業は曽々祖父から代々鍛冶屋で、僕は五代目に当たるんです」



五代目!
なんと創業は明治27年!
老舗ではありませんか!



赤畠「爺ちゃんが鉄を鍛えている姿・・・炉の熱さ・・・工場で遊んで爺ちゃんに怒られたり・・・火のある暖かい工 場に近所の人達が集っている様子・・・そんなん原体験が僕の記憶の根底にあって・・・。
 自分のするべきことは、『鍛冶安を継ぎ、守ること』なのでは、と思ったんです」






やはり、DNAというか、『血』というのはあるんだな、と思った瞬間。
静かに滾る、鍛冶屋の血。

その、『血』が指し示し、25歳で京都の刃物会社に弟子入り。
早いとは言いがたい決断。
しかし人生、遅すぎるということはありません。



赤畠「入社した京都の会社は、昔風な徒弟制度じゃなくて現代の会社形態。でもやっぱり『見て覚える』
(笑)。先輩がしてるのを見続けて、ある日「やったみろ」と。
だから火に入れる回数とか・・・まずは見たまんまを覚えて。
で、実際作っていくと、何故この作業に理由があるのかとか・・・後からわかってくるんですよ」



決断したからには、脇目をふらない。
六年間みっちり修行をした後、ようやく独立。
工房を開くにあたっては、お父様の鉄筋建築の倉庫の一角を借り受けました。




–六年て・・・結構長いですよね。
 そしてようやく独立・・・一国一城の主! 開業はさぞかし嬉しかったでしょう!?


赤畠「いや、それが全然嬉しくなくて。
 倉庫の一角とはいえ家賃は払わなきゃいけないし、開業に向けて買っちゃった機材がどんどん搬入されてくるし・・・。
 もうね、機材が来る度に、『うわあぁ・・・もう取り返しがつかない』と思て、逃げたくなりました。
 だって、これからは、僕一人の責任だから。一丁でも僕が作ったのを売ったら、全責任が僕個人にかか ってくるわけですよ」




めっちゃ後ろ向きです(笑)。
赤畠さんは、どちらかというとシャイで人見知り。
そう考えると、気持ちがわかりませんか?
ポジティブシンキングな人はワクワクかもしれませんが、内気な人間は、新しい世界には腰が引けてしまうものなのですよ。

しかし、いったん始めたからには、真摯に向き合うのが赤畠さん。


コークスで焚かれた1000度の炉に挑み、真っ赤に熱せられた鉄を扱う・・・。
軍手は何枚重ねているのかと訊ねたら、なんと一枚こっきりとのこと。
熱くはないのでしょうか。



赤畠「指先の感覚で鉄と鋼の微妙な厚みと角度を調整するんで、ホントは素手でしたい。でもそれじゃ危険なので、 仕方なく一枚だけ嵌めているんです」







–そうして作った包丁の完成度は?


畠「もちろん100%です!
 よく『まだ満足はできないけど』とか言うでしょ?
 でもそれって、注文してくれたお客さんに失礼だと思うんですよ。
 一生精進は続けるんだから、その時どきでの100%を、お客さんに提供しないと」




お話を伺っていると・・・個人的な感じ方、ですが。
謙虚ながらも秘めたる自信・・・というか、プライドを感じます。
それは素晴らしいもので。
しかし・・・。


–失礼ですが、開業してから注文は?


赤畠「最初の1~2年は全然なかったです。
 注文だけじゃなく、普通の研ぎとか農機具の直しとかもするんですけど・・・。
 なので、開業当初はもっぱら近場のフリーマーケットに出店して、『鍛冶安』を知ってもらいました」




–フリーマーケット? 
 こう言っちゃなんですが、人と話すのが苦手なんじゃなかったんですか?


赤畠「・・・苦手は苦手なんですけど、人は好きなんですよ。
 お客さんと話して、その人となりを知って・・・話して・・・。
 一本の刃物を作るのでも、その人をイメージしつつ作るんです。
 修行先の京都の会社が、全国の物産展に出店するような大手だったんで、僕も日本中の物産展に行かされて・・・そ れで鍛えられたのも大きかったですね」



この日は、サルシカ隊メンバーの『たかお農機』のたかおさんも、ひょっこり顔をのぞかせました。
彼も、人とのつながりを通して赤畠さんと出会った一人。



今は『たかお農機』さんの展示会に、必ず出店するほどの仲。
「田舎でがんばる若い職人が居るというのが非常にうれしいです」と、たかおさん。
こうした人と人の出会いが、少しずつお客さんを呼ぶことになったのです。


–注文に来られる方も少しずつ増えているとのことですが、もっと効率よく「商売」しようとは思わないんですか?
 例えばネット販売とか。




赤畠「それは絶対にしたくないです。
 『刃物』だということもありますけど、相手を知って、その上で納得して作って、ちゃんと手渡したい。
 こういう量産しない手仕事を選んだ以上、アナログを貫きたいんです。
 あと、興味本位で手にされたくない。
 『大徳の刃物がどうしても欲しい!』という人だけ来て欲しいんです。
 そういう人のために、僕は作りたいんです」  





意外にも・・・いや、やはりというか、キッパリした返答。
私が感じたのは、赤畠さんは、アーティストと職人の境にいる人だということ。
人との出会いを大切にし、その人のために、自分の魂のこもった作品を作る。
しかも、クライアントの要望を聞きつつも、唯々諾々とそれに従うのではなく。
クライアントが求める以上のクォリティを提示するべき、という矜持を持つ人なのです。

取材中、今まで作られた刃物を見せていただきましたが、どの刃物、ナイフにも表情というか、個性があります。




つい手にしたくなり、眺め、使ってみたいという気にさせられます。


–最後に、この仕事での目標というか、夢は?


赤畠「この工場のすぐ近くに、爺ちゃんが使っていた工房があるんですよ。
 今はほとんど崩れちゃっているんですけど。
 そこを再生して工房を開いて、そこにみんなが寄ってくれるのが・・・最終的な夢です」



–みんなが寄ってくれる工房・・・。
 何というか、赤畠さんの人となりがこの言葉ですべてわかる気がしました。
 ありがとうございました。


飯南町 鍛冶安 
住所 非公開

おまけ。




時間があるときは、こんな可愛らしい鉄工芸品も作っているそう。
欲しい! そして飾りたい!
鉄好きな人なら、萌々間違い無しです。