銭湯いこに Vol.09「怒涛の尾鷲編」中篇

投稿日: 2011年03月02日(水)10:33


写真/松原 豊 文/ケロリン桶太郎

[googlemap lat=”34.070799″ lng=”136.190995″ align=”undefined” width=”400px” height=”300px” zoom=”8″ type=”G_NORMAL_MAP”]三重県尾鷲市[/googlemap]

全国の銭湯ファンがいつかは行きたい銭湯。
それが松の湯です。

・熊野古道の馬越峠から八鬼山峠のあいだにあって
・馬越峠をこえて尾鷲の街にやってきた旅人を玄関にある富士山のタイル絵が癒してくれて
・木の引き戸の向こうに四角い湯船だけの素朴な空間が広がる

ただそれだけなのに銭湯ファンの心を惹きつけて離さない。
尾鷲が三重が誇る銭湯の世界遺産。
それが松の湯なのです。

松の湯がやめてしまう。
そんな報道がなされたのが1月29日。
中日新聞の三重版でした。

私(ケロリン)は鈴鹿市に住んでいます。
それなのに尾鷲の素朴な銭湯がなくなる事実を新聞報道で知ることができた。

松の湯の存在感を知ることのできるエピソードだと思います。
この報道自体はとてつもなく寂しいものですが。
どのような経緯で紙面でとりあげることになったのかはわかりませんがこの事実を記事にした方は銭湯ファンに違いありません。
そう信じています。

もしかすると子供の頃、松の湯に通っていた方なのかもしれません。
勝手に想像しています。

松の湯がなくなるのはさみしいけれど、なくなってしまう前にそれも一ヶ月も前に知ることができただけでもよかったのかもしれません。
悔しいけれどそう思うことにします。

今回のサルシカ銭湯企画。
本当は新生湯に入って、夜は「静」(あとで紹介する居酒屋です)で食べて飲んで隊長のサルシカ号で寝る。
そんな企画でした。

みんなで日程を調整し、この日に尾鷲に行くことになっただけだったのです。

なのに松の湯サヨナラ入浴になり、ヤーヤー祭りの町練りと重なってもいて。

この偶然もすべては松の湯が招きよせてくれたのかもしれません。
繰り返しますがそう思い込んでいます。

お昼。
「豆狸」(前篇参照。海鮮ユッケ丼うまし!)にて「松の湯に入るために来た」というと、包丁を握るお兄さんはドラゴンズが日本一になったとき松の湯の風呂場でご主人とビールかけをしたと。

夜。
「静」のお姉さまは「昨日、松の湯さん来とったなあ」「私も毎日入りに行くんよ」と。
近所のお店で、銭湯の話をするだけでこれでもかと出てくる内輪話。

あそこの店の○○さん、あっちの○○さん。
尾鷲はとっても小さな街でみんなが知り合い。
だから松の湯がやめるのは町の大きなニュースなんです。

松の湯には漁師町らしく男湯だけに長靴を入れる下駄箱があったりします。
ナショナルの電球のコマーシャル入りマナー看板も今ではここでしか見ることができません。
浴槽の縁は一枚岩を四角く組み合わせたもの。

井戸水をためておく貯水漕は頭上高くレンガ積みで組まれもの。
水量を示す木札には二十石と書かれています。
一石が180リットルなので3.6トン貯められることになります。

貯水漕から傾斜を利用してレンガ積みの釜に水が流れて、胴製の釜の中でお湯になって浴槽に供給される仕組みです。

胴製の釜はご主人のお父さんが経営を引き継いでから一度も交換したことがないそうです。
燃やしているのは檜の建築端材や製材の切れ端など。
だから釜場には煙の匂いに混じって檜のいい香りがします。
パチパチ音も聞こえます。

裏側の壁には白墨で数量やら連絡先やらがびっしり。
昔のオマケシールも貼られていたりします。
松の湯の釜場にはこの銭湯の歴史がたくさん刻まれています。

この釜を守っているのが松の湯のおばあちゃん。杖をつきながら営業開始まで釜に薪を放り込んだり桶を整頓して忙しそうにしています。
お孫さんは銭湯を経営しているのがちょっと自慢らしくやめることになって寂しそうにしているそうです。
ご主人はいつも5時に帰ってきておばあちゃんと釜番を交代します。なので5時まで番台には近所のおばあちゃんが入ってくれています。

これだけの歴史ある銭湯をやめることにした。
その決断は単なる利用者には計り知れないものがあります。
地下を這っている配管からお湯がたくさん漏れているそうで、修理するのはすべて掘り起こさなければならないそうです。
煙突から出る火の粉が火事を引き起こすのが心配だそうです。
釜番をしているときは一時たりとも離れられないそうです。

そんなご主人ですが、いつもよそ者の我々を暖かく丁寧に迎え入れてくれます。
そして釜や水槽、湯気抜きと瓦屋根の間の屋根裏など、裏側の裏側まで親切丁寧に案内してくれます。

丁寧に案内してくれる姿からは松の湯を守ってきた気概や、松の湯への愛があふれています。
だから「手のかかる松の湯だけど、きっとやめたくはないんだろうな」と推察することは容易なのですが、肩の荷がおりた安堵の表情も見て取れ、外来者の我々からは軽々しくやめないでほしいなどとは言いだせないほど穏やかな平穏なご主人なのでした。

尾鷲のどの銭湯に行っても「家に風呂はあるんやけどここに来るんさ」と気さくに話しかけてくれます。
私は毎日松の湯を利用することはありません。
銭湯が好きで入りに来ているだけです。
でも毎日こうやって入りに来るおっちゃんはここでいつもの顔に会って天気の話、漁の話、ちょっとHな話をするのが生きがいです。

尾鷲にはあと二軒の銭湯がありますが、だいたいのおっちゃんはいつも同じ銭湯に行くそうです。
松の湯がなくなったらよそに行くのでしょうか。
なんとなく町の表情だけでなくおっちゃんたちの表情も変わってしまいそうな気がします。

尾鷲の人にとっても、銭湯ファンにとっても、熊野古道以上の世界遺産である松の湯。
この記録の中だけに生き続けるというのは、あまりに寂しすぎます。

松の湯
尾鷲市中井町4-13
2011年2月28日をもって廃業