3人目「写真家・浅田政志」

投稿日: 2009年06月11日(木)22:50
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「三重の100人」。
3人目の方は、写真家。

彼の写真集の名は「浅田家」。
自身の家族に色々なシチュエーションを演じさせ、写真を撮り続けています。
著名な写真家を輩出し、「写真界の芥川賞」とも呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞(2008年第34回)。
浅田政志さんです。

「浅田家の記念写真は、みんなで休みを合わせて、場所を借りたり、服を決めたり、シーンをみんなで考えたりして写真を撮ります。それは自ら記念をつくって いく記念写真です。待っていてもなかなか来ない記念日を、写真を通じてつくりあげていく。写真には、きっかけになってもらったり、みんなをまとめてもらっ たり、一枚の映像として残してもらったり、いつもお世話になってばかりです。」

~写真集「浅田家」より

浅田政志(あさだ・まさし)
写真家

1979年:三重県出身
2000年:日本写真映像専門学校 研究科卒業(当時:大阪市住之江区)
2003年:東京へ上京 2004年よりスタジオフォボスにて2年半勤務
2007年:写真家として独立



Q1:生まれたところはどこですか?
A1:三重県津市

Q2:できれば生まれた年を教えてください。
A1:1979年(昭和54年)7月生まれ

Q3:現在はどちらにお住まいですか?
A3:東京。
全国を仕事で回りつつも、月に1度は必ず津に帰る。

Q4:住まいを三重から移したのはいつですか?(その理由は?)
A4:写真の仕事がしたくて、就職先も決まっていないのにとりあえず東京へいった(笑)。

Q5:三重県でお気に入りの場所はどこですか?
A5:津マリーナの堤防の先っぽにある赤い灯台の下。
ジュースと刀根菓子のデザートを持って、ぼんやりしてるのがサイコー!(笑)

Q6:三重県でお気に入りの店はどこですか?
A6:刀根菓子店。天福(焼肉店)、マリーナ(喫茶店)、あじへい、デニーズ。すべて家の近く(笑)。

Q7:三重県のいいところはどこだと思いますか?
A7:他と比べて「特にここが素晴らしい!」というとこはないんだけど、やはりふるさとだからイイ! 風景のひとつひとつに思い出があって意味がある。

Q8:フト三重県を思い出す瞬間は?
A8:がんばらなアカンその前(笑)

Q9:あなたが考える「三重の自慢」は?
A9:うーん・・・・。

Q10:「住みたい都道府県ランキング」。あなたなら三重県を何位にする?
A10:1位!(即答)



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津マリーナの交通公園の交差点にてインタビュー。
最初打ち合わせでお会いしたときに、取材場所を浅田さんに聞いたところ、

浅田「津ぅマリーナで!」
と即答(笑)。
隊長「でも、外でいいんですか?」
浅田「好きなトコだし、実家から近いし」
隊長「はあ・・・」

というわけで決定!

当日、津ぅマリーナまで歩いてやってきた浅田さん。
「で、どこで話します?」と聞かれて、隊長はすかさず「ここで!」と交差点を指定(笑)。

ふたりとも相当の変わり者です(笑)。

–浅田さんは東京在住でありながら、ご両親の暮らす三重県を舞台にして写真を撮り続けていらっしゃいますが・・・やはり三重というか津がお好きですか?

浅田「特に何が好き、とか、何かが画になるとかじゃなくて、やっぱりふるさとなんで、どんな風景にも思い出が詰まっているというか、走ってるバスひとつにしても三重交通だと、おっと思うわけで(笑)」

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カメラを向けるとすぐさまポーズをとる。すでに職業病か(笑)。

浅田さんは津市立育成小学校を卒業し、津市立橋南中学校へ。
なんと、この写真を撮っているフォトグラファー加納とまったく同じコースなのだ。
ちなみに中学校は隊長も同じ。
つまり、フォトグラファー加納と隊長の私は、浅田さんの14歳上の大先輩なのであった!(笑)

103-071 –昔から郷土愛が強かった?

浅田「いやー、それはないですね。キライではなかったけど、やはり10代の頃は都会への憧れが大きかった。
それで大阪の写真の専門学校へいってひとり暮らしをしたんですけど、これがメチャクチャ楽しかった!」

浅田「たぶんこの街を離れたから、いいところが見えてきたんでしょうね。たまに見るから、風景も違って見えたし。ずっとここにいたら、たぶんいいものも悪いものもわからなかったでしょうね」

–ところで、大阪の専門学校を卒業して東京にいかれたのですか?

浅田「いや、一度津ぅに帰ってきたんです。3年ぐらいパチスロとかやってプラプラして、やっぱり写真の仕事をしたいと思って東京へいったんです」

–就職先があったんですか?

浅田「いえ、まったく(笑)。1年かけてようやくスタジオに就職できました」

–もうその頃で24、25歳ですよね?

浅田「はい。それからスタジオで3年ほど仕事して独立したんですけど、つい最近の話ですね。
今でこそ立派な賞をいただいて、なんとか写真で食べていけるようになりましたが、独立したばかりの時は、ホントにまあヒドイ状況で(笑)」

–そんな時でも月に何度か帰省してた?

浅田「そうなんですよ。最低でも月に1回は津に帰ってきてましたね。
まあ、ずっと『浅田家』の写真を撮ってることもありましたけれど、やっぱり帰ってくるとホッとするんですよ。
津に帰ってくるのはボクにとっては充電みたいなもんです。東京では放電しまくってますから(笑)」

–交通費だけでも大変だったでしょう?


浅田「ほぼずっと深夜バスです。新幹線の半額で済みますし、ボクはあの深夜バスの雰囲気が好きなんですよ」

–雰囲気というと?

浅田「ほら何かワケあり風というか、逃げていくみたいな雰囲気があるじゃないですか。
今でも時間があるならバスで行き来したいですね、だいたい新幹線は早すぎる。なんか疲れるんですよ」

「近すぎますよ、先輩!」
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「アカンなぁ、ゴミしたら・・・」
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「ありゃりゃ、えらいことなってるなぁ」
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不良の溜まり場名物、カピカピになったエロ本を見つけ大喜びの浅田さんと隊長。
つんつんして、つまむように裏返して・・・。
本だと思っていたら、DVDのケースで、ページをめくることも出来ず、ふたりとも憤慨!(笑)

雨がポツポツ落ちてきたので、マリーナ前の喫茶店「マリーナ」に移動。
2階席をお借りして取材を続けた。
–ところで、浅田さんを充電してくれる、津、三重のええとこってなんでしょうねぇ。

浅田「人が親切なんですよ。例えば『浅田家』の写真では、いろんな場所やモノを借りて撮影しましたけど、もうみなさんメッチャ気前がええんですよ。
書類出せとか数日待てなんかいわない。すぐOK!
あれには本当に助けられた。
ありがたいですよ。東京では考えられません。
まあ、なんというか、津ぅは男気があるトコやと思うんですよ、ボクは」

–学生時代の津ぅの思い出とかあります?

浅田「記憶力が悪いせいか全然覚えてないンですけれど、ボクは津ぅ工業(高校)だったんで、セントヨゼフ(中学&高校)の女の子が気になって仕方なかった。ちょっと付き合った子もいたなぁ(笑)」

–今も津にたくさん友だちがいるみたいですね。

浅田「いますねー、熱いのが。いっしょに何かやろうっていつも盛り上がってます」

–木村伊兵衛写真賞を受賞されて、友人や家族は?

浅田「あまり変わらないですねー。ちょっと驚いてるぐらいかな。
親は喜んでくれてるでしょうけど、個展をやって、写真集を出して、そして受賞・・・みたいな感じで徐々にうれしいことがあったので、ドカーンと大騒ぎということはなかったですね。
授賞式のとき、被写体でもある(笑)両親はさすがに東京にまで来てくれましたけれど。
授賞式のあとに家族でメシを食べに行って、さすがにボクが払おうと思ったけれど、オフクロに支払ってもらっちゃいましたし(笑)」

浅田「あと自覚もあまりないですね。
今の自分って見えないじゃないですか。すべて過去の体験から気づかせてくれるというか、過去の積み重ねがいまなわけで・・・・。
ボクの写真も、今という瞬間ではなくて、その瞬間までの過去というか物語を撮っているんだと思ってます」

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隊長「超久しぶりです、この店」
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浅田「デートスポットですよね、ここ」
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浅田・隊長「辛い思い出がある!(笑)」
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103-16 最後に将来について聞いた。

浅田「いつかは津に帰ってきたいですね」

–いつかってどんな時でしょうか。

浅田「(笑って)もう食えなくなってボロボロになって帰ってくるか、年取って帰ってくるか・・・まあ今の自分もわからないのに、先のことがわかるわけありませんけど・・・・」

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取材協力/シーサイドカフェテラス「マリーナ」 写真/加納準 取材/オクダヒロヒサ
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