まる三重レポート#16「写真集『村の記憶』発刊記念トークショー」

投稿日: 2011年08月31日(水)20:58

写真/加納準 テキスト/M子

 

8月27日の土曜日。
三重県津市美里町の『美里ふるさと資料館』にて、松原豊氏の写真集「村の記憶」の発刊記念トークショー『移住者の視線・定住者の視線』が行われました。

美里ふるさと資料館は、伊賀街道の長野宿を見下ろす小高い丘の上にあります。
1ヶ月ほど前からその展示室で、松原氏の「村の記憶」特別写真展が開催されており、その締めくくりとして、今回のトークショーが行われることに。

トークゲストは定住者側として中森氏、工藤氏。
移住者側として松原氏、奥田隊長が参加。
ずっとここで暮らしている人と他所から来た人・・・その考え方の違いから、地域・・・特に今回は『美里町』について考えてみました。

左/工藤さん  右/中森さん

(定住者二人紹介)
中森氏 旧美里村の役場に42年間勤務。現在は津市の社会福祉協議会美里支部に勤務。
地域の上水道や道路など、長年地域の基盤づくりに携わってきました。

工藤氏 地域のかんこ踊り運営委員長。
美里町体育振興会会長でもあり、普段は市役所に勤務しています。

「写真師マツバラ」こと松原豊

続いて移住組の二人。

松原氏がこちらに引っ越してきっかけは、まずは子供の為。
特に奥さんが田舎暮らしに積極的だったこともあり、半ば引きずられるように7年前に美里町(当時は美里村)へ。
結果的に田舎暮らしを始めたおかげで、この『村の記憶』というシリーズの写真を撮るようになり、写真集発刊へ・・・。
つまりは奥さんのおかげでしょうか(笑)

左/「サルシカ隊長」ことオクダ  右上/M子、田中市会議員、高橋隊員  右下/イワワッキー市会議員の姿も!!

奥田隊長はもともと東京で会社経営をしていましたが、その生活に疲れ、田舎暮らしを望むように。
何故か『海方面』を希望していたものの、気づけば、ここ美里町に在住。
現在は放送作家として基本、在宅で仕事を行っているとともに、NPO法人『サルシカ』として、三重の情報発信に努めています。

トークショーは、トークゲストだけではなく、参加者の方々にも発言してもらいながら進行しました。

■美里町ってどんなところ?

[移住者・外から見たイメージ]
・農村の景観が綺麗!「山村」ではなく「里山」だと感じる
・町からものすごく遠く感じる。
・意外に近いのに、知らない人が多い
・関西方面にも行きやすい
・移住者を受け入れてくれる懐の深さ

[定住者のイメージ]
・かつては温泉旅館もあったのに、今は寂れている
・基盤が充実した一方、年々人口が減りつつある・・・
・車さえあれば交通の便が良い
・山の緑が綺麗なので、これ以上開発しないで良い!
・高速の便が良い
・竹林が増え、里山が減り、山に入れなくなってきた
・林業の衰退
・人付き合いが、良いにつけ悪いに付け深い

・・・などなど。
外から見たイメージが好意的なのに引き換え、定住者の方々のイメージは、ややマイナス寄りです。
しかし決してこの地域が嫌いかというとそうでもなく。

『好きとか嫌いではなく、ここが故郷。ここでしか暮らせないし離れられない』

というのが、定住者の正直な気持ちのようです。

また、平成の大合併を経て『村』から『町』に変わったことも、大きな変化があったようです。

工藤「今までは(役場の)職員の顔が見えたのが、津市に統合されたことで見えづらくなりましたね。
でもやっぱりね、「村」というより「町」の方が響きがよくなったような、そんな気が少ししますね・・・」

中森「確かに小回りが利かなくなりましたね。
ただ、今までは役場が何でもしてくれたので、運動会でも何でも『当日そこに行けば良い』という感じだった。
これからは、自分たち住民でちゃんとしていくことが大事ですね」

これからは町民自らが、祭りやイベントを企画し実行することが、町を盛り立てていく術だとのことです。

そしてさらに、話は町に人を呼ぶためにの方法へと。

■美里町を含め、外から田舎に移住するに当たっての留意点は?

奥田「子供がいるかいないかで、かなり変わってくると思いますよ。
それによって、地域とのかかわりが必然になってくるでしょ。子供会とかPTAとか・・・。
子供がいなかったり巣立った人も積極的に行事に参加していく姿勢が必要というか・・・」

松原「引っ越してきたときに『町内会に入るかどうかは自由ですよ』って言われたけど、子供がいたら入るに決まっているでしょ!じゃないと子供が孤立しちゃうじゃん(笑)」

奥田「しきたりとか『組(地域の班みたいなもの)』についての理解だよね。確かに祭りや『出合い(組の共同作業)』は多いけど、新参者だからこそ、ちゃんと参加しないといけないと思いますねぇ(笑)

ここから、
移住者をどんどん取り込み、住民を増やしていく地域活性化の話や、イベントや祭りで集客し、地元のファンを増やすという話へと展開。

数年前美里町で行われたツリーハウス作りに話がおよびました。

■大人の遊び、ツリーハウス作り

ツリーハウス作りに集まった人数は、なんと150人!
地元のグループに声をかけたところ、美里町の他のグループも「楽しそうだ」と加わってくださり、さらに『サルシカ』のHPを見て知った人も・・・。
すべてボランティアで、材料も間伐材を使用。
強制ではなくみんなが自発的に集まり、楽しんだイベントでした。

中森「ああ、まだみんなに『遊び心』があるんやな~・・・と、嬉しくなったね。
でもまあ、自分らで好きにやるから面白いんだよね。
これが強制だと、いきなりイヤになってしまうもんだよ(笑)」

ここでいったん話を戻して、大事な『村の記憶』についての話を(笑)

■写真集『村の記憶』について

写真を撮っているのは現代にもかかわらず、モノクロでどこか懐かしい写真の数々・・・。
来場者の『土間の匂いを感じる』という言葉に、松原氏はいたく感動していました。

しかしモノクロということもあり、被写体となった人からは、「俺ら、記憶になってしまったのか?」という、驚きの声もあり。昔の写真集に自分が載っている錯覚を起こす・・・時間のズレを感じるそうです。
松原氏自身も写真集を作っていく中で、「自分はいつの時代にいるんだろう」と思うことが、多々あったそうです。

この写真集を見ることで初めて『本物のもの』『残していきたいもの』に気づいた、という来場者の方もいらっしゃいました。

が、『村の記憶』で写っているものの中には、これから消えてしまうものが多くあるのが事実です。
それは物だけではなく、人や集落も・・・。
だからこそ『記録』としてこの写真集が必要だったのです。

美里町だけで考えても、すでに人口は4000人を切り、平木地区は限界集落。
10年後、20年後・・・果たして住みつづけることができるのか?
そんな地域を活性化し、人を増やすために、自分たちに何ができるのか・・・。

■美里町のファンになってもらおう!

松原氏いわく、在住者は地域の良さを知らないというのが、大きく感じることだそう。
先程の外からのイメージ、「里山が綺麗」というのも、身近にありすぎて住んでいる人にとっては、まさに目から鱗状態。
他にも既に、数名の家具作家さんが移住してきている事実を踏まえると、美里町は魅力ある町なのではないか、との意見が。
また、在住者にとっても移住者はよい刺激になるので、大歓迎だとの発言。

「美里の良いところを知ってもらい、ファンになってもらおう!」

実際最近、東京の劇団の方が美里を訪れ、美里のホールを稽古場に使おう・・・という話が挙がって来ています。
劇団にはファンが付き物。
ホールを稽古場に使ってもらい、一回でも公演を行ってくれれば、一度はファンの人も美里を訪れてくれるはず。
鳥取のある地域では、それで町興しを成功させたとのことです。
そして何故その劇団が美里を知ったからというと、知り合いからの情報で、アーティストが多い町だと聞いたからだそう。

奥田「美里町にはカメラマンもいるし、僕みたいな作家もおるし、木工作家さんや家具作家さん・・・意外にアーティストの町なんですね(笑)」

松原「いやいや、それ違うって!」

奥田「いーのいーの、嘘でもそれで押し切っちゃてですね、もっと注目してもらおうかなって(笑)」

■もっとたくさん寄り合いをしよう!

美里町は世代や地域、在住者・新参者の隔てがあまりなく、町について率直な意見を交わすことができるのが魅力です。
なので今はそれで良いですが、このままでは徐々に寂れていく・・・という危機感を、みなさんジワジワと感じているそうです。
それに対して、すべきこと・できることは・・・?

松原「僕は移住者として考えているのは、こういった会だけじゃなく、もっと身近な『寄り合い』をしょっちゅうしたいですね。
特に『近所』の人と親密に話し合えるような・・・」

奥田「確かに最近、そういうことないよね。
お酒飲んでベロベロになって腹割って話してね(笑)」

工藤「昔はあったよね。酔って殴り合って(笑)・・・でもそういうことを繰り返して先に進む・・・みたいな」

また、近所同士での付き合いを深めるとともに、地域全体の連携を深めることも大事との発言もあり。
美里地区は村だった時代の名残か、地区ごとのグループはまとまっているのですが、地域全体で1つのことをする・・・というと、なかなか連携できないのだそう。

中森「市町村が合併したことで、グループの連携に関しては、これからだんだん、まとまらざるを得なくなってくると思うんですよ」

奥田「それは合併して、良かった点かもしれませんね」

■伝統芸能について・・・

『カンコ踊り』などの伝統芸能も、現在廃れていく一方。
それを地域だけで守っていくのか、それとも外の人間を入れて、残していく道を選ぶのか・・・。
現状は、祭りの準備だけでも人手が足りない状況です。

松原「多分東京に行って声をかけたら、『やりたい!』って人がいっぱいいると思うんですよ。
ツアー組んで来てもらったらいいのに、と思いますよ。
長野県では、20年近く前からそれに近い方法で、祭りを続けている地域があるそうです」

奥田「祭りの本質さえ失わなければ、そういう方法もありですよね」

■美里をこれからどう紹介していく?

美里には良いしきたりや伝統芸能、見て欲しい美しい日本の風景があります。
また、移住者は知らない遺跡や史跡・・・。

今回のトークショーには、観光ボランティアをされている方も参加されており、美里の魅力について熱く語っていただきました。
そんな中、出された意見が、

『美里の観光資源、守っていく優先順位を決めよう』

狭い人数で決めるのではなく、例えば観光紹介の団体を立ち上げ、美里全体でアンケート。
世代を越えた声を集めることで、隠れた名所や、実は由緒ある史跡なども出てくるかもしれません。

■進んでいく村

最後に移住者からの目線で、移住することについての考えを。
松原氏よりも移住に積極的だった、松原氏の奥さんにうかがいました。

松原妻「移住してきたら、周りの人も意外にも受け入れてもらって・・・。
『これはしてはいけないことなんだ』というしきたりも教えてもらえて助かりました。
でもその都度その都度なので、なかなか全体が見えないというか・・・。
その意味でも、これから移住してくる人には、勉強の場が必要だと思いましたね。
あと大切なのは、変えていくもの・変えてはいけないもの・・・見極める目も必要だということ。
特に地域にとって何が大切なのか・・・などは、私にはわからないので、地域でもっと話し合わないといけませんね」

松原「住んでいる人にはわかっているしきたりでも、僕は全然わからないので、最初はブラックホール状態でした。
『出合い』とかもからないし、寄り合い行ったらどんだけ飲まされるのか・・・(笑)
なので、これからも移住者を受け入れていくつもりなら、システム作りをして、『村を記憶していく』ではなく『進んでいく村』になって欲しいというか・・・(笑)。
しきたりなども口伝が多いのが昔から続いている村(町)ならでは。
これから移住してくる人、移住を考えているる人を後押しするためにも、『移住者マニュアル』が欲しいですね・・・」

トークショーは予定の1時間を大幅に越え、2時間に。
話し合いの中で何か方向性が見えたとか、まとまってきたとかはないものの、
ひとつのヒントが見えてきたようです。

それは今回のような世代も地域もこえた「小さな寄り合い」からいろんなアイデアが生まれ、何かがはじまるのではないかと・・・・。

やはり「村」には寄り合いが必要で、大切なのです。

中森「なんだか妙な集まりですが、僕はこういう集まりがしたかった・・・理想だったんですよ。
想像もつかない組み合わせの人たちで、何のわだかまりもなく話せて、仕事や世代も関係なく・・・へんな気持ちだけど、嬉しいですねえ」

奥田「これまだ、第一回目ですから(笑)」

そう、
これは記念すべき「寄り合い」キックオフとなりました。

中森さん、工藤さん、そして参加者の方々、ありがとうございました。

村の記憶オフィシャルHP