銭湯いこにVol.19「伊賀の銭湯で落語なのだ!」③~湯につかる~

投稿日: 2012年03月29日(木)13:24


写真/松原 豊 文/ケロリン桶太郎&奥田裕久

いよいよ銭湯なのである!
しかもでっかいテレビカメラがいるのである。
もちろんちっちゃい写真師もいるのである(笑)。

テレビ取材と同時進行のサルシカ銭湯取材!
落語家・林家染弥さんも混じえて、パワーアップ版でお送りするのだ。

今回お邪魔したのは池澤湯。
松尾芭蕉ゆかりの蓑虫庵のすぐそばにある。
しかしがら、こちらの銭湯は細い路地を入って回りから見えない場所にある。
なかなか見つけるのが大変。そのため「かくれんぼの湯」とまわりの人から呼ばれているらしい。
しかも、ウソかまことか、釜を守るお父さんは「釜じい」、お母さんは「湯ばーば」と呼ばれているという。
なんだか宮崎駿的銭湯なのである(笑)。

ちなみに上の写真の人物紹介を改めてすると・・・
右から、

スズキックス
ケロリン桶太郎
その背後にこの銭湯の息子さん
「湯ばーば」こと池澤あや子さん
「釜じい」こと池澤行一(ゆきかず)さん
神父さん
林家染弥さん
そして隊長

・・・である。

さて、釜じいの池澤行一(ゆきかず)さんは 昭和6年7月7日生まれ。
湯ばーばのあや子さんは昭和7年12月23日生まれ。
池澤湯の開業は昭和26年であるという。

行一さんのお父さんはレンガ職人で伊賀線の有名なトンネルにも携わった。
池澤湯のレンガも先代の手によるもので、仕事で廃材が大量に出るためそれを燃やすのに銭湯をはじめた・・・という話もあるが、今となっては真偽を確かめる術はない。

息子さんは2011年に定年まで5年を残して勤めを辞め、動脈瘤破裂で倒れ、奇跡的に助かったお父さんをサポートしている。
しかしまだ跡を継いだわけではなく、池澤湯の主はあくまでお父さんの行一さんである。

銭湯めぐりは、暖簾をくぐる前からはじまっている。
銭湯の達人ケロリン桶太郎と、その師匠である神父さんによる「暖簾談義」がはじまる(笑)。

ケロリン「これは京都型暖簾ですね~」

京都? 暖簾に地域の型なんぞあるのか。

神父さん「大きく分けると、関東型、大阪型があります。その中間が京都型ですね」

あの~、全然わかりませんが(笑)。

神父さん「実は東京型の暖簾は丈が短かく、大阪型は長いんですよ。
 それはなぜかというと、東京の銭湯は玄関があってドアを開けてもすぐに脱衣場が見えない。だから暖簾が短くていい。
 それに対し大阪はドアを開けるとすぐ脱衣場で丸見えなので暖簾が長いんですよ」

ほほーう、いきなり勉強になるのだ。
ただの銭湯バカだ思っていたが、あなどれんバカなのだ(笑)。

しかも昔は、石鹸メーカーなどが季節ごとの暖簾を配っていたという。
しかし最近では銭湯の数が少なくなったため、オールシーズン対応の暖簾がほとんどだという。

なるほどな~。
昔なら春には桜、夏には花火や金魚などの暖簾が風に揺れたのであろうなあ。
銭湯はその数だけを減らしているわけではなく、こういった風情も少しずつ失いつつあるわけだ。
寂しい限りである。

銭湯の息子さんに、オリジナルステッカーをいただく。
よく見てみると、おおおお、なんということだ、サルシカと書いてあるではないか!

友人がつくってくれたものだという。
ありがたい話だ。
その好意を無にしないためにもサルシカ隊の隊員の車に強制的に貼り付けるのだ(笑)。

中に入ると、湯ばーばことあや子さんが番台からご挨拶。
こちらの番台はフロント形式ではなく、きっちりと正しく脱衣場の方を向いている。
これは全国どこでも同じ。
昔はコインロッカーなどなかったので、お客さんの荷物が盗まれないように見張っている意味もあったのだという。
なるほどなるほど~。

それにしてもケロリン桶太郎と神父さんの銭湯談義は、呆れるほど果てしなく続く。
途切れることを知らない。

神父さん「鏡に広告がついているのが古いという人がいるが、もっと古いものには広告はない・・・」
ケロリン「銭湯の天井は青く塗られているところが多い・・・これは空をイメージしている・・・」
神父さん「貸タオルがあるかどうか、それが有料か無料かというのも、その銭湯の主の思いを知るポイント・・・」
ケロリン「銭湯の楽しみのひとつに地域オリジナルのドリンクの存在がある・・・」

もう勝手にやっててという感じである。
テレビだってわずか10分のコーナーなのに、もうこの銭湯談義だけで30分以上しゃべっているのだ(笑)。

まあしかし銭湯には、語るに尽きないほどの文化と歴史がある。
そしてたくさんの人の思い出が残されているのだ。

お客さんがいない隙に、写真師が女風呂にさりげなくもぐりこむ。
すると、脱衣場には通常ありえないものがあった。

左端の下・・・。
そう、大根や白菜などの野菜である。

実は、池澤湯では、近所で家庭菜園をしている方から野菜を仕入れて販売。
マージンなし。
毎週木曜に仕入れている。

この野菜販売をはじめたのは、池澤湯の周辺は商店が廃業してしまいお年寄りだけの世帯には買い物もたいへんだろう、という理由から。
本当に売れるのかと半信半疑だったが、ネギや白菜を桶に入れて帰るお客さんの姿も。
今ではこれを楽しみに来てくれるお客さんもいるぐらいだと言う。
まさに画期的なサービスだ(笑)。

さてさて、浴室へと入ろう。
湯船は関西型で中央に鎮座している。
桶はもちろんケロリン。
しっかりと磨かれ、掃除が行き届いている。

湯船のまわりにある段差。
これも関西型の特徴だという。
お年寄りなどはここに腰をかけて、かけ湯をして湯船に浸かるのだ。

さてこの池澤湯には三重県唯一のものがある。
それは、湯気の向こう側にあるペンキ絵の富士山である。
タイルの富士山は三重県にもいくつもあるが、ペンキ絵はここ池澤湯だけなのだ。

今の富士山は看板屋の作品だが、その下にはお父さんとお嫁さんの作品が隠れているという。
どんな作品なのかぜひ見てみたいものだ。

狭いながら設備は充実。
ジャグジーもあるし、薬湯もある。
座り湯ってのもあるが、説明イラストが妙に色っぽい(笑)。

燃料は自動車の廃油など。
が、そのメーカーもすでに廃業しており、現在の釜が壊れたら廃業になるわ、と、釜じい。
笑ってはいるが、これが切実な現状なのだ。

釜場のバルブには、いくつもの札がつけられている。
手伝いをはじめた息子さんが間違えないように結びつけたものだ。

池澤湯はいずれ釜じいから息子に引き継がれる。
その思い出や歴史と共に。

いまは釜が壊れないことを祈るばかりだ。

熱すぎず、かといって温すぎない湯に身体を沈める。
ふうううう、と声がでる。

池澤湯
住所 三重県伊賀市上野愛宕町2893
電話 0595-21-4606

さあ、これから三重県で初の試み、銭湯で落語なのだ。
染弥さんがフト神妙な顔をしてみせる。

次回、今シリーズ完結。
林家染弥、湯けむり人情ばなし!