美里町は伊勢と都の文化が行き交う要衝地として古くから開かれていました。
江戸時代には津城主、藤堂藩の拠点である津と伊賀を結ぶ伊賀街道の宿場町としてもにぎわっていました。
そのため町内には歴史のある名所や旧跡が点在し、往時の面影を今に伝えています。
南北朝時代から室町時代のころ、この城を本拠にして旧安濃郡と現在の津市北部から鈴鹿市南部一帯を支配した国人領主・長野氏の城跡で、昭和57年に国の史跡に指定されています。長野氏は1360年の書物「太平記」にも登場し、14世紀後半には足利尊氏方の有力な武士として活躍していたことがうかがわれます。
桂畑地区の標高540メートルの山頂にあり、中勢南部の山々や平野が一望できます。
北長野の経ヶ峰登山の細野ルートの近くにある目なし地蔵は、細野地蔵尊とも呼ばれ、特に眼病に霊験あらたかだといわれています。
毎月24日の例祭、4月と7月の24日の大祭には地元のみならず近隣からも多くの参拝客が訪れます。
小学校の遠足やウォーキング大会のコースとしても親しまれています。
長野峠のふもと、平木地区の旧伊賀街道沿いにひっそりとたたずむお堂があります。
その昔、長野氏の家臣の飼っていた愛犬が激しく吠えました。家臣は自分が襲われるのではないかと犬の首を切ってしまいました。するとはねられた首が飛び上がり、木の上から侍を狙っていた大蛇に喰いて侍の命を助けました。江戸前期の書物「勢陽雑記」にこの忠犬の物語が記されており、この犬を弔うために主人が建てたお堂だといわれています。